レポート 041100
レポート課題: 遠足 or 修学旅行シーンを展開せよ
標題: ある高校におけるケース
学校は丘の上にあった。私鉄の駅から丘の麓まで、畑と田圃の真ん中を、真っ直ぐに道が延びている。生徒達はゆるくカーブした急坂を正門まで上るか、崖と言っていいような急斜面につけられたコンクリートの階段を裏門まで上るかして登校した。 高校3年の春。 クラスメートからフランソワーズと呼ばれるその女子生徒は、ある週末の朝、校門に向かって急な坂道を上っていた。慣れているとはいえ、やはり息を弾ませる。登校時間には少しだけ遅いが、他に誰もいないのはそのせいではなかった。遠足に参加しない者は登校して自習することになっていたのだった。市役所前の広場から、みんなバスで出発した頃だろう。 遠足といっても、歩け歩けのハードな「遠足」は、この公立高校では行われない。バスで風光明媚な観光地を訪れ、生徒達は現地で自由に散策することになっている。何かにつけてのんびりした校風なのである。 「きっと来てる。」彼女はそう思いながら、ロッカーを開けて、上靴に履き替えながら、反対側のロッカーの列を見た。彼は隣のクラスだ。 「遠足には行かねえから。」先週、彼がそう言った。 「どーしてもだ。行きたくねえんだ。ほっといてくれ。」そう言われると、黙るよりなかった。彼はそう言った後で、少し申し訳なさそうな顔をした。だから、よけいに何も言えなかった。 バス代を出したくないことは、想像できた。それを誰かに都合してもらうことなど死んでもしたくない、彼がそう思っていることも。それに、気が向けば出席してイヤになったらぷいっと出ていける教室ならともかく、バスの中に閉じこめられるのは、クラスでも浮いた存在である彼にとっては居心地の悪いことだろう。 彼女と同じクラスの、喧嘩っ早くて無鉄砲なためにジェットと渾名される男子生徒も、彼と同じような境遇だった。しかし屈託のない性格の持ち主で、みんなのカンパをありがたく頂戴することにしていた。彼女がその話をするのを聞きながら、彼は何とも暗い目をしていたに違いない。普段は片目だけ隠している長い茶髪の前髪が、両目ともかくしてしまっていたから、見えなかったけれど。 来ているに違いない。彼女がそう思ったのは、彼が出席日数を稼ぐために、こういうチャンスを利用しないはずがないと判断したからだ。彼はいわゆる不良だが、頭が悪いわけではない。ちゃんと計算してさぼっている。 東校舎の3階端にある化学室。他学年の遠足不参加の生徒も、ここに集められていた。といっても、彼女を入れて5人で全員だった。 「島村くん。」彼女は彼に近づきながら声をかけた。他の3人は、有名な不良と美貌の秀才帰国生徒とを、見ないフリをして見守っている。見られている2人は、そんなことには慣れていた。 「なんだよ、行かなかったのかよ、おまえ。」 「今朝急におなかが痛くなって、先生に電話したの。」 「なら家で寝てろ。」 「なおっちゃったのよ。市役所はもう間に合わなかったから、こっちに来たの。」 「勝手にしろ。」 彼は持っていた本を実験台の上に放り出し、窓際に立って、ズボンのポケットに手を突っ込んで、外を眺めている。遙か遠く、コンビナートの向こうに、海がかすんで見える。 しかし彼女が見ているのは海ではなく、彼。すらりと伸びた背。窓からはいる日射しに、生まれつきの茶色い髪の輪郭が輝いている。とてもきれい。いつも、そう思う。 「よお、島村。めずらしく殊勝な心がけじゃないか。」 「なんだ、会長、足の骨でも折ったのか?」 入ってきたのは、生徒会長だった。几帳面で、まるでドイツ人のように義務を重んじるというので、仲間内ではアルベルト。どういうわけか、不良の彼と気が合った。真面目なくせに彼と同じくケンカは強いからか、正反対の存在だからか。 「それでは歩けないだろう。カゼをひいて、さっきまで熱があったんだ。」 「ったく、どいつもこいつも。」 そうしているところに、教頭がやって来た。白髪に白衣の飄々とした初老男だ。 「ああ、おはよう。自習の用意はしとるかね? しっかり頑張りなさい。ここに名前を書いておくように。何かあったら、私は裏のプレハブ棟にいるから。」 「はい、わかりました。」生徒会長が代表して答える。教頭は彼等を監視するつもりなど全くなく、さっさと引き上げた。そういえばこの間からその辺りのペンキ塗りをやっていたのだった。 彼女の知らない3人の男子生徒は、クラス章から1年生と知れた。彼とアルベルトは、その存在など気にも留めずに、しゃべっている。小声ではあるが、建て前から言えば自習のメイワクだ。しかしもちろん、真面目に自習が行われるわけはない。1年生達も、控えめではあるが勝手に盛り上がっている。 彼女は彼の本を手にとった。図書室の返却期限が切れている。彼らしいと思いながら、読み始めた。 森鴎外。先頭は『舞姫』だった。彼はどんな気持ちでこれを読んだのだろう。時々彼の方を見てみる。窓際の実験台の端に軽く腰掛けた姿は、やっぱり格好良かった。 アルベルトとしゃべっている表情は明るくて、どうしていつもはあんなに暗い目をしているのか、彼女にはワケがわからない。彼女と一緒にいるときは、暗くも明るくもなく、やさしいけれど、なんだかいつも少し悲しそうだった。 1冊読み終える頃、お昼になった。すぐに放免されると思ってか、みんな弁当は持ってきていなかった。思わず顔を見合わせた。 が、そこへ用務員のおばさんがやって来た。 「あんたら、遠足に行けなくてかわいそうにねえ。歩かなくてもおなかは空くからね、これ食べなさい。」大皿に盛ったおむすびと、大きなやかんにお茶を入れて、持ってきてくれたのだった。 大きなおむすびは彼女には1コしか食べられなかったが、その塩味が、とてもおいしかった。バスに押し込められて、歌など歌わされて遠足に行くよりも、ずっと楽しいと思った。 みんなが食べ終わって、少ししたら、教頭が現れた。「ではそろそろ、帰ってよろしい。ご苦労。」それだけ言って、名前が記入された紙を手に取ると、すぐに行ってしまった。 「久しぶりにゆっくり話せたな、島村。なるべくちゃんと出て来いよ。」 「ああ、できたらな。」 生徒会長はさっさと出ていった。続いて1年生達も。 「どうするの?」 「帰る。」 「ちゃんと?」 「なんだよ。」 坂を下り、丘から駅に続く道。彼はやはり、少し悲しそうな顔をしている。春の日射しが、こころもち暑いくらいだ。この季節らしい、かすかに濁ったような青空から、ヒバリの声が降ってくる。 「なんだかさぁ、」 「え?」 「別にワケってねえんだけど。何もかも、なんでも許せるような、そんな気分になるよなあ、こーゆー時って。」ふと足を止めて、彼が言った。姿の見えないヒバリを見上げた。 彼女は彼の顔を見上げた。茶色の瞳が、悲しそうに笑っていた。 「オレ、学校やめる。っていうより、いられねえだろーな。」 「島村くん・・・・・。」 事情を聞いても、決して話してはもらえないだろう。それだけは彼女にもわかった。そして、それが何であれ、自分にはそれを止めることが出来ないことも。何か、彼がずっと遠くに行ってしまうような気がした。 「遠足、だったよね、今日は。歩きましょ。」 「ああ。」 2人は電車には乗らず、線路と平行する旧街道を街まで歩いた。古い土蔵、崩れかけた土塀。今はたたまれた古い商家。玄関先に並べられたプランター代わりのトロ箱に、パンジーが植わっていたりする。初めて見るわけではないのに、見知らぬ土地を歩いているような錯覚。ただ黙って、眺めて歩いている。時々通るクルマが、埃を巻き上げる。 教頭先生が、なんだか面白かった。用務員のおばさん、おむすびがおいしかった。最初1年生達が彼を怖がっていたみたいで、笑えた。ヒバリが鳴いていたことも。遙かな海を見ていたことも。私は忘れない。でも、彼は、どう思っただろう。 学校にだってあまり出てこないから、つきあっているといっても、一緒にいられた時間はそう多くはない。自分が知っている彼は、自分には優しい彼は、ほんの一面だった。それはわかっているつもりだったけれど。自分に何もできないのも、わかっているけれど。 黙ったまま、40分ほどで、私鉄の終点の街に着いた。 「悪いけど、これ、返しといてくれ。」 「いいわよ。」彼女は『舞姫』を受け取った。 「オレさあ、こういうふうに遠足が楽しかったの、初めてだったんだ。」それが、彼の最後の言葉だった。 週明け、フランソワーズは生徒会長のアルベルトに話を聞いた。ジェットが不良仲間から聞いてきた噂らしかった。 それによると、遠足の日の前夜、彼は轢き逃げをしていた。出頭する決心がつかなくて、あの日なんとなく学校に出てきたのかもしれない。結局あのあと警察に行ったものの、共同危険行為、しかも無免許。被害者は重体で病院に収容されたという。他の生徒にもすぐに知られるだろう。 ほんとう、なのだろうか。 それから数年が過ぎた。あれ以来、彼の行方は杳(よう)として知れなかった。しかし、彼は今もどこかで、あの日のままで、あの姿のままで生きている、彼女にはそう思われてならないのだ。 |