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Special * May 2005 Rudyard Kipling |
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機械の真実
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Rudyard Kipling
(1865-1936) Kipling については、2002 January を参照のこと。さらに詳しくは、GANESA へ。 C. R. L. fletcher との共著 A School History of England (1911) より。原題は "The Song of the Machines"。 Kipling の機械に対する深い関心は、'The Ship That Found Herself' や '.007' (ともに The Day's Work (1898))などによく現れている。彼が秩序や体系を重んじたとすれば、機械はちょうどその理想を具体化した存在といえるだろう。明確な目的を持ち、合理的に設計され、造られる。正しい手順により操作され、正確に作動する。 しかし、その機械も人間が作りだしたものである。したがって、人間の意思によって人間のためにコントロールされるべきものである。人間にとって不都合なことがあれば、機械の使用をキャンセルすることができる。 Though our smoke may hide the Heavens from your eyes, It will vanish and the stars will shine again, 究極的には機械の主人は人間だとKipling は言っているのだが、そして、確かにそのはずなのだが、現実は今私たちが体験している通りなのである。機械が専制君主と化しつつある。 いったん使い始めると、機械に設定されたペースに人間が合わせていかねばならない。使用をやめることもできない。便利な機械ができると、以前にはしなくても済んだことをやらなくてはならなくなり、社会は以前よりも忙しくなってしまう。 あるいは、人間は、計り知れない力を持つ魔物を呼び出してしまったために、しなくてもよかった冒険に巻き込まれる(マヌケな)主人公のようではないか。いや、もっとマヌケなのは、その機械やシステムのペースが、同じ人間によって設定されたものであることだろう。 この作品が書かれた頃には、まだイギリスとアメリカを結ぶ電話はなかった。ここで友の様子を知るのに使われるのは電信(電報)であって、「天空のアーチを渡る」無線電信は当時の新しい通信技術であった。それと同時に、天かける神々を思わせる表現でもある。 当時の工業用機械は大きくて重く、その存在感は威圧的でさえあった。また、機械はもちろん人力をはるかに超えた力を持つ。ゆっくりと運動するロッド(動力を伝える連結棒)でも、それを手で止めることはできない。不用意に触れれば、重大な事故となる。 "Be humble, as you crawl beneath our rods!" は、"rod" が「(機械の)ロッド」と「(権威を表す)笏」の二つの意味を持つため、機械の現実の姿と、人間をこえた圧倒的な存在という比喩的な意味が同時に伝わってくる。 こうした昔の巨大機械は、博物館明治村(岐阜県)やイギリス各地の産業博物館などで見ることができます。間近で見ると、動いていなくてもちょっとコワイ感じがします。ぜひ体感してみてください。 |