Monthly
Special * May 2001 William Wordsworth |
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七人きょうだい
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William Wordsworth (1770-1850) イギリスのロマン主義を代表する詩人の一人。桂冠詩人。 ケンブリッジ大学に学び、大陸旅行時に目の当たりにしたフランス革命によって一時は共和主義的情熱をかき立てられるが、革命の現実を知って失望、最終的には保守に傾いていく。 しかし、その思想的変化にかかわらず、彼のバックグラウンドは生涯イングランド北部の自然に恵まれた地方にあり、『自然』が彼の霊感の源であった。 S. T. Coleridge と共同出版した詩集 Lyrical Ballads (1798) は、出版当時はこれを酷評する批評かもあったが、英詩の新時代を告げる存在であり、Romantic Movement(ロマン主義運動)はこの作品をもって始まったと、現在ではみなされている。 Lyrical Ballads で彼が宣言したのは、「詩は日常のことばで歌い、日常の平凡な事柄を題材とすべきである」(第2版序文)ことであり、これは従来の詩のあり方に真っ向から異議を唱えることであった。 この作品 "We Are Seven" において正しいのは『少女』なのか『おじさん』なのか、という問いが成立しないことは、誰の目にも明らかである。両者の属する次元が全く異なると言っていいほどに、子供と大人とが別種の存在として描かれる。 それぞれの次元で、それぞれの意見は正当性を持つ。しかし、『少女』のほうに分があることもまた明らかで、『おじさん』は『少女』に感動も影響も与えることができないのに対し、その逆は大いに見て取れるのである。 子供は、大人が失った感性をもって、自然を通じて神秘の世界を体験することができる。せめて大人は、純真な子供を見ることで、自分が失ったものを思い出してみるがよかろう。この『おじさん』のように『正しい』ことを教えようなどとせずに。 ―― Wordsworth はそう言っているかに思われる。 これ以外にも、Wordsworth の詩には、架空の無垢な少女 Lucy に代表される、自然と一体化した子供がしばしば登場する。これは "The child is father of the man;" (My heart leaps up when I behold) に端的に表現された、幼年時代の『栄光』に対するこの詩人の憧憬を詠ったものである。 しかし、その多くに『演出された子供像』を感じることを禁じ得ないのは、私だけだろうか。 |