Monthly
Special * July 2001 T. S. Eliot |
From The Waste
Land
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荒れ地 赤い松明が 汗まみれの顔に照ったあと |
DA/Datta (布施せよ)/Dayadhvam
(憐愍せよ)/Damyata (制御せよ): サンスクリットより。ただし、「DA」は単語ではなく、雷鳴の擬音語であり、かつ『ブリハッド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド』にある以下の話に基づく。 神・人間・阿修羅(悪魔)は修行を終えて、父なる創造神にそれぞれが教えを乞う。創造神はそれぞれに「da」と答えてその意味を問う。「da」を、神は「damyata(制御せよ)」、人間は「datta(布施せよ)」、阿修羅は「dayadhvam(憐愍せよ)」と解し、それぞれ創造神から良しとされる。それゆえ天の声である雷は、人にこの三つを修得せよと「da」と響くのである。 a broken Coriolanus (滅びたコリオラヌス): 伝説のローマ将軍。優れた武人であったが、自ら君主となろうと図ったため追放される。その後軍勢を率いてローマに攻め込もうとしたが母と妻の嘆願を容れて思いとどまり、そのために殺されることになった。 London Bridge is falling down falling down falling down: 遊戯歌『ロンドン橋が落ちた』の一節。18世紀に起源を持つこの無邪気な子供の遊び歌には、架橋にまつわる『人柱』の伝説が込められていると言われる。実際にロンドン橋の架橋工事は何十回も繰り返され、しかも難工事であった。しかし、少なくともキリスト教の時代になってからは、人柱の儀式が行われたという事実はないとされる。 Poi s'ascose nel foco che gli affina (こう言って彼は浄めの火の中に身を隠した): 「浄罪編」第26歌148行目から(原注より)。 Quando fiam uti chelidon (いつになったら燕になれるのだろう): Pervigilium Veneris (ヴィーナス前夜祭)の、フィロメル伝説に関する部分から(原注より)。ツバメはフィロメル伝説におけるプロクネの化身である。 O swallow swallow (おお、ツバメよ ツバメよ): ツバメは夏の訪れを告げる鳥、すなわち喜びをもたらす鳥である。また、スカンディナビアの伝説では、この鳥はイエスの十字架の上を「Svala! svala! (Console! console!)」と鳴きながら飛んだので、「svalow (the bird of consolation (慰め))」と呼ばれるようになったという。 Le Prince d'Aquitaine a la tour abolie (廃塔のアキテーヌ公): フランスの詩人Gerard de Nervalのソネット El Desdichado から(原注より)。アキテーヌ公は廃墟の塔に幽閉され、相続権を奪われた。 Why then Ile fit you. Hieronymo's mad againe.(それならば仰せの通りに。ヒエロニモはまた狂った。): Thomas Kyd の Spanish Tragedy から(原注より)。Kyd は Shakespeare と同時代の劇作家で、Hamlet の元になった劇の1つを書いたといわれる。Spanish Tragedy では、スペイン宮廷の式武官ヒエロニモは息子を殺害され、宮廷で上演される劇を利用して復讐を果たしたのち、自らも命を絶つ。 Shantih shantih shantih: 「シャーンティ」はウパニシャッドの末尾におかれる言葉。「平安」を意味する。ここでは雨音のようにも聞こえる。 |
T. S. Eliot (1888-1965) Eliot については The Waste Land II. A Game of Chess を参照のこと。 V. What the Thunder Said は、「ゲッセマネの園」におけるキリストの苦悩のイメージから始まり、終わり近くにはインド哲学が織り込まれながら、全体としては「聖杯探求の物語」とそれに含まれる「漁夫王伝説」とを下敷きにして、幻想が展開する。 聖杯とは最後の晩餐で用いられた杯で、アリマタヤのヨセフがこれで十字架上のイエスの血を受けたと伝えられ、複雑に入り組んだ伝説を生んでアーサー王と円卓の騎士の物語と結びつくようになった。幾多の危険と恐怖を体験しつつ聖杯を求めて旅を続ける騎士たち。その苦悩は、不毛の現代社会に住む人間の苦しみでもある。 漁夫王は聖杯を守る城の主で、傷が癒えないために、その国土は荒廃している。ラスト近くで、ふと気づくと海辺で釣りをしていた「自分」は、すなわち漁夫王である。人間それぞれが自分の世界の「漁夫王」なのであって、完璧な徳を有する騎士が傷の回復を祈ってくれる伝説とは異なり、自らが回復して荒廃と不毛の状態を解決しなければならない。精神的に再生しなければならないのである。 現代の荒れ地に救済はまだもたらされない。「せめて自分の土地だけでも整えようか」、そう思うものの、自分の精神を支えているのは無秩序な断片である。しかし、たとえ非力であっても再生の必要に気づいた者に、雷は人間たるべき道を指し示す。'Datta. Dayadhvam. Damyata.' 。 おそらく幻想の中で聞いた雷鳴は、現実の雷のこだまであったろう。そして、最後にやっと雨の気配が訪れる。'Shantih shantih shantih' と、それは未来における救済の可能性を示しているように思われる。 |