Monthly Special * March 2008
 William Blake

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THE ECHOING GREEN


The Sun does arise,
And make happy the skies;
The merry bells ring
To welcome the Spring;
The skylark and thrush,
The birds of the bush,
Sing louder around
To the bells' cheerful sound,
While our sports shall be seen
On the Echoing Green.

Old John, with white hair,
Does laugh away care,
Sitting under the oak,
Among the old folk.
They laugh at our play,
And soon they all say:
"Such, such were the joys
When we all--girls and boys--
In our youth-time were seen
On the Echoing Green."

Till the little ones, weary,
No more can be merry;
The sun does descend,
And our sports have an end.
Round the laps of their mothers
Many sisters and brothers,
Like birds in their nest,
Are ready for rest,
And sport no more seen
On the darkening Green.



*****


こだまヶ原


日は もう昇り、
空を 喜ばす。
楽しい鐘が 鳴る
春を むかえて。
ヒバリに ツグミ、
薮の鳥たち、
負けじと 歌う
陽気な鐘の音に 合わせて、
ぼくらは 遊ぶ、
こだまヶ原で。

ジョン爺は、白髪頭だけど、
うれいを 笑い飛ばす、
オークの木の下に 座って、
老いた連れたちと。
ぼくらの遊びを見て 笑う、
そうして すぐにみんな言う、
「こんなじゃった、こんなじゃった、愉しかった
わしら みんなが――おなごも おのこも――
子供時分に ああしておった
こだまヶ原で。」

やがては 小さなみんなも疲れて、
これ以上は はしゃげない。
日は もう傾き、
ぼくらの遊びも おしまい。
それぞれ 母さんのひざを囲んで
兄さん姉さん妹弟 みんな、
巣の中の 小鳥みたいに、
そろそろ おやすみ、
もう 遊ぶ影もない
暮れゆく原には。




William Blake (1757-1827)

William Blake については November 2000 を参照のこと。


Songs of Innocence に収められている。それぞれの連が一日の朝昼夕に対応すること、また、世代ごとの繰り返しが描かれていると見ることは、定説のようだ。繰り返されるから、「Echoing Green」なのだろう。

しかし、朝昼夕は人生の三段階に喩えられることが多いのに、ここでは人生の「朝=子供」と「夕=老人」しか登場しない。つまり、1連目が子供、2連目では子供と老人とが共存しているように見えるが、3連目になると場面が変わりまた子供だけしかいない。彼らの母親達は人生の昼に対応する年代だが、人としての存在ではなく、安心できる「母の膝」として登場するのみである。

老いると子供に帰るということなのだろうか。子供時分の想い出に浸る老人は、その間子供と同じ精神でいるということなのだろうか。ジョン爺は、子供達を見守り、昔を思いだして、老いの悲しみを吹き飛ばしている。

そんなことを考えながら何度も読んでいると、ふと、ラストにある無人の野原が現実なのであって、愉しい朝も子供達の遊ぶ姿も、老人の追想の中にだけ存在しているのではないかと思われてくる。

子供は、老人が記憶の中に眺める対象であると同時に、過去の老人その人でもあるのではないか。そうして、暗くなりゆく野原とは、老人の意識ではないのか。

あまりに明るく無邪気なふうを装い、ブレイクの「無垢の歌」は不思議なブキミさを秘めているように思う。



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