青字は『水仙月の四日』よりの引用 |
雪童子はうしろの丘にかけあがって一本の雪けむりをたてながら叫びました。 |
☆ 人間の目には見えない。声も聞こえない。そんな雪童子にとって、自分が投げた宿り木の枝を受け取ってくれたというだけで、吹雪の中でもそれを持っていたというだけで、その子供は『特別』の存在になるのですね。だから、助けようと思った。 雪婆んごが「こっちへとっておしまい」と言うのは、命を取って『こちら側』の存在にしてしまえということでしょう。昔よくいわれた「子盗り」を連想させます。子供をさらってきては、こき使ったり売り飛ばしたりする。なにか、雪童子というのは雪の中で死んだ子供がなったのではないか、と思えてきます。 そうだとすれば、雪の山からはるかに町を眺める雪童子は、自分がかつて人間の子供だった記憶を心のどこかでよみがえらせているのかもしれません。 子供を助けた雪童子は、仲間たちに「大丈夫だよ。眠ってるんだ。あしたあすこへぼくしるしをつけておくから。」と言います。もし人の命を取ることが彼らの本分であるなら、またそうすることを望んでいるなら、「大丈夫」という言い方はしませんし、だいいち内緒にしておくはずです。彼らは雪を降らせますが、できることなら雪では誰も死なせたくないと思っている、そんなふうに感じられます。 歳をとらず、不思議な力を持つ。もし元は人間だったとしても、もとの人間には戻れない。人間と同じには存在できない。だけど、普通の人間に暖かい気持ちをいだく。――というわけで、雪童子。御子様ふうに描いてみました。読み方にご注意、「ゆきわらす」です。 ☆ 少なくともこの作品において宮沢賢治は『雪』そのものを本質的に人間の敵であるものとは見ておらず、人間に近しい存在ととらえているように思われます。 たしかに、荒れ狂う冬の天候に組み入れられた場合に、雪は人間にとって脅威となる。けれど、『雪』自体には、人間に害をなそうとする意図はない。そんなふうに。(もちろん自然だから、意図ってないけど。) しかも、そうして山に積もった雪は春にはとけて田を潤すのです。 ――宮沢賢治が創り出した雪童子の背景には、古くから信じられてきた水として循環する祖先霊、死者の魂のようなイメージがあるのかもしれない――などとも、想像してみたりするのでした。 『水仙月の四日』をお手軽に読むには、岩波文庫『童話集・風の又三郎』。 |
イラスト製作のトホホ過程をご紹介。よろしければどうぞ。>> おまけ