009 Fanstories
・ トンネルにて ・
1. ――ショータ、ここだったんだな――。 ジョーは、手にした花束を、トンネル脇の赤さび色をした石垣に立てかけた。 すぐ近くには、擁壁にへばりつくようにして粗末な小屋が建っている。ガラスは入っているが、もちろん、無人だ。 急勾配を上ってきた単線の線路は、古びた石組みの中の闇に続いている。見上げると、アーチの上部には闇がしみ出したかのような煤がつき、幅いっぱいに取り付けられた細長い装置も真っ黒に汚れている。 トンネルの中から、かすかな振動が伝わってきた。めったに来ない列車が、やって来るのだ。彼は一気に擁壁の上に飛び上がり、急斜面の雑木林を移動した。 次第に大きくなったレールの響きが、トンネルから吹き出すディーゼルエンジンの轟音にかき消される。やがて警笛の音と共に姿を現した急行列車は、夕陽の中、ペールオレンジに窓のラインを朱色に際だたせて、緩いカーブを遠ざかっていった。 1971年。この路線から蒸気機関車が姿を消したのは、つい2ヶ月前のことだった。* |
2. その少年は「ショータ」と呼ばれていた。ジョーが物心つく前から暮らしていた施設で、新入りのショータは「カンサイの山の中」からやって来たのだと紹介された。小学校に入った年だっただろうか。 しばらくの間、ショータはみんなにとけ込めなかった。何よりも、話す言葉が違う。それに、他の子供たちが生後まもなく家族と離別しているのに、ショータは最近まで肉親と生活していた。そのことが目に見えない壁になっていたのだ。 しかしジョーは、この妙な話し方をする同い年の少年に興味を持った。というより、その話に、ということだろう。 「ボクのお父ちゃん、トンネルにフタするの、仕事やってん。」 ショータは誇らしげに言った。「せやないと、きかんしさんらが参ってまうねん。」 ジョーにはそれが何を意味するのかわからなかったが、ネズミがネズミ取りに入ったらパタンと蓋が閉じる、何かそんなふうに汽車がトンネルに入っていくような気がして、面白かったのだ。 ショータは2、3年経つと施設を出て、それ以来ずっと会っていない。どこに行ったのかも、ジョーは知らなかった。 |
3. ――ネズミ取り、か。ネズミは、自分だ。実験用の――。 ジョーは木の根元に腰をおろし、幹にもたれて目を閉じた。 仲間と幽霊島を脱出してから何年か過ぎ、ジョーはレース界で活躍していた。最速のレーサー『ハリケーン・ジョー』としての生活はとりあえず平和裏に過ぎていたのだが、ここしばらく世界各国で頻発する謎の事件は、彼に嫌な予感を覚えさせずにはおかなかった。 そんなある日、ジョーはテレビのニュースでショータのことを思い出した。運河で発見された他殺死体の身元として伝えられた氏名は、あの少年と同じだった。同一人物とは限らない。しかし、なぜか気になって仕方がなかった。そこで、スケジュールの空きを利用して、事件を調べることにしたのだった。 その結果わかったのは、やはりその被害者はショータで、ニュースの伝える通り、犯人も事件の背景も全く不明だということだった。 ――死んでいて当然の自分が生きているのに、死ななくてもいい人間が――。 目を上げると、夕陽はさらに傾き、雲が茜と金の縞模様に染まっている。 次にジョーは『トンネルのフタ』を探すことにした。ショータが子供心に誇りに感じていた父親の仕事とは何だったのか。それを知ることが、わずかの間でも仲間だった者に対する慰霊となるような気がしたのだ。 問題のトンネルは、思いがけなくも、地図の上ではお馴染みのサーキットからそう遠くなかった。鉄道に詳しい者に訊ねたらあっけなく場所がわかったのだが、ただ残念なことに、ショータの言っていた『フタ』は、もう使用されてはいないらしい。 そこでジョーはまずトンネルの『フタ』のある側に最も近い駅に立ち寄り、話を聞いた。数少ない駅員のほとんどは山に囲まれたこの地に長く住んでいて、ショータの父親を知っていた。しかも、ショータは2ヶ月ほど前に父親のことを訊ねに来たのだという。 「可哀想になあ。こないだ来た時は、あんなことになるとは・・・。」 |
4. ショータが父親だと思っていた人物は、実は祖父だった。ショータの母親が乳飲み子を自分の父親に託し、姿を消した。山林の仕事を引退していた父親は、孫を育てながら、臨時雇いの形でずっとトンネルの煙止め装置の操作係を務めていたのだ。 上り勾配のトンネル内では、蒸気機関車自らが吐き出す大量の煙に取り巻かれ、機関士たちが呼吸困難をおこすおそれがあった。そこで、列車が完全にトンネル内に入ったら、後ろ側に分厚い帆布製の幕を下ろす。 定年間際という感じの親切な駅員は、ジョーが聞いてきたよりもわかりやすく説明してくれた。『フタ』の正体は、彼が子供の頃に想像したパタンと閉まる蓋ではなく、するすると上から降ろすものだった。 トンネルを閉じてしまえば外から空気が入らないから、ちょうど水鉄砲の先を塞いでピストンを引いた時のように、前進する列車の後ろ側は気圧が低いままになる。したがって煙は機関車の後ろに「置いて」いかれる。こうして乗務員の安全を確保していたのだ。 ショータの祖父は、トンネル脇の小屋に待機して、列車がトンネルに入ると鉄のハンドルを操作して垂れ幕をおろし、時間を計って引き上げることを仕事としていた。欠かせない役目ではあるが、交代要員が来るまで、おそろしく孤独で退屈だったに違いない。 それを知っている職員たちは、彼が赤ん坊を背負って勤務するのを見て見ぬフリしていた。やがてショータが学校に上がると近所に任せて仕事に出るようになったが、時には『フタ』を上下させるところを見せて、連れてきた孫を喜ばせていたようだ。 そんな話を聞きながら、ジョーは施設でのショータの顔を思い出そうとしていた。しかし、どうしてもそれは、ニュースで見たあの被害者の写真になってしまうのだった。 「しかし、山さんでも失敗をするとはなあ。それに、妙な事故やった。」 駅員は、すすけた事務室の木張りの壁面に目をやった。まるで15年ほど前の光景がそこに描かれてでもいるように。 たまに、列車が煙止め装置に突っ込むことがあった。もちろん、係員がうっかり幕を上げ忘れたためだった。重量のある機関車にとっては垂れ下がった1枚の帆布など取るに足らない障害物で、深刻な事故になったことはなかった。しかしそれでも危険なことに違いはなく、そして修理代がかかるのは確実だった。 ショータの祖父は職務を怠るような人物ではなかった。ところがある日の日没後間もなく、トンネルを出ようとする貨物列車が垂れ幕に突っ込んで急停止した時、その姿は番小屋に見あたらなかった。 逆方向の列車が通過してから1時間以上の間があった。確かに、幕をしばらく降ろしたままにしておいても実際に支障はなかった。しかし、引き上げるまでの時間が待てないほど差し迫ったどんな事情があって、彼は持ち場を離れたのか。 夜遅くになって、トンネル付近は騒然となった。煙止め装置を修理に来た業者が、小屋のすぐ脇に人が倒れているのを発見したのだ。ショータの祖父の遺体だった。その上の急斜面から落ちたものらしかった。もちろん、それまでどこへ何をしに行っていたのか、見当もつかなかった。 「戦後10年経って世の中はすっかり落ち着いとったが、それでもわけのわからん事件は多かった。そういや、あのころ一時、黒ずくめの妙な格好したもんが山をうろついとるとかいう、噂があったなあ。」 その後、役場の者がショータの身寄り探しを行ったのだが、すぐには解決せず、彼は関東地方のある孤児収容施設にしばらく身を置くことになったのだった。 |
5. ――ショータの母親も――。 ジョーは自分の母親のことを思い、そして施設の仲間たちのことを思った。夕焼けの豪華な色彩に心を持っていかれそうだった。 しかしその感傷も長くは続かなかった。背後の上の方で灌木が不自然な音を立て、ジョーは現実に引き戻された。音はそれきりだったが、確かに何者かが左手に回り込みながら、急斜面を近づいてくる。ジョーは気づかぬふりをして、その気配に精神を集中した。 この動きはもちろん獣ではない。それに、ジョーの身体には人間の匂いがないのだから、たとえそれが獲物を求める肉食獣であっても、嗅覚から彼に興味を示すことはない。 ――人間、しかもこういう場所での活動に慣れたやつだ。だが、いったい――。 相手の動きが止まった。水平に10メートルほど左、低木の茂み。 ――オレを狙っているのか?――。 正体がわからない限り、こちらから攻撃することはできない。 ――もし、やつが『普通の人間』だったら――。 そして武器が普通の銃や刃物だったら、よける必要もない。だが『普通の人間』に狙われる心当たりは、ジョーにはなかった。 もし敵なら、自分以上の能力を持っているはずだ。圧倒的に不利な状況下で最初の一撃をかわし、同時に相手を倒さなければならない。加速装置を使えば当面逃げることはできるが、必ず居所を突き止めて追ってくるだろう。 3分経った。相手は動きを止めた位置で、気配を絶っている。 ――まだいるのか? なぜ攻撃してこない?―― 確かに木立が障害になってはいるが、むこうから全く見通せないはずはない。とすれば、銃の類は持っていないということだ。 その時、張りつめたジョーの神経が遠い音をとらえた。列車がやってくるのだ。うなるようなエンジン音。木々を透かして、左手のカーブにディーゼル機関車の朱赤色が見えた。 ――そうか!―― 敵はジョーに気づかれているとは思っていない。列車の騒音に紛れて一気に接近するつもりなのだ。 列車はトンネル前の直線に入った。最大出力で急勾配を登る機関車の音が、わき上がるように近づいてくる。 ――来る!―― ジョーは敵の隠れ場所に目だけを向けた。視界の端に黒い影が入った。 ――まだ、もっと引きつけてからだ――。 彼は姿勢を変えずに待った。 |
6. しかし、立ち上がった黒い影はジョーには見向きもせず、木立をぬって斜面を駆け下りだした。 ――いけない!―― 事態に気づいた彼は、ほぼ同時にその影に向かって走った。 ジョーが相手の右手首をつかまえた時、トンネルに入ろうとする列車が警笛を鳴らした。 「はなしてよ!」 ジョーの手をふりほどこうとする力は『普通の人間』のものではなかった。 2人の下を機関車が通り過ぎた。最後尾の客車がトンネルに入ってしまってから、ジョーはやっと手を放した。 若い女だ。首から足先まで身体にぴったりとした黒い衣服は、肩までの乱れた髪と同じく泥に汚れ、あちこち切り裂かれていた。鋭い眼でジョーをにらみつけながら、じりじりと後ろにさがっていく。 「キミは、いったい…。」 ジョーが言い終わらないうちに、女が飛びかかってきた。ジョーは相手の動きを見定めると、突っ込んでくる腕をとらえ、体の向きを変えて肩越しに地面へたたきつけた。 女はあっけなく動かなくなった。だが、これくらいで動けなくなるはずはない。戦意を失ったのだ。 ジョーは女の傍らに注意深くかがみ込んだ。仰向けに横たわったまま、何の表情もない。 ――こいつには、痛覚がないのか?―― アンドロイドには見えない。かといって、感覚神経が自動制御されるような、精巧な『身体』をしているとも思えなかった。 「まさか、普通の人間にやられるとはね。」 「――キミは、何なんだ?」 「言ったって信じやしないよ。」 「じゃあ、どこから来た?」 女は笑ったつもりのようだが、表情はやはりほとんど変わらない。乾いた息がもれただけだった。 「ずっとここにいたのさ。トンネル出てくるやつに飛び込んでやろうと思ってたら、あんたが来たから。そこでためらったのが間違いってわけ。さっきは今度こそって、思ったのに。」 「なぜだ?」 「あんた、馬鹿じゃない?」 「ふん、まあいいや。あたしはね、うんと昔、男に騙されて、それから、あいつらに騙された。それ以来あたしはずっと……。 あいつら、行っちまったけどさ。」 「どこへ? あいつらっていうのは、もしかして…。」 「どこへ…? 知るもんか。実験所全部壊して、行っちまった。長いこと使ってなかったけど、またちょっと戻ってきてたんだ。あたし、どさくさに紛れて逃げ出したんだよ。」 「見つかって、簡単に殺してくれりゃいいけど。」 そう言って、女は身体を起こした。ジョーも立ち上がった。女はジョーの全身を上から下までしばらく眺めていたが、黙って背中を向け、歩き出した。 が、ふと足を止めて、むこうを向いたままジョーに尋ねた。 「あんた、年いくつ?」 「19。」 ――だった、と言うべきだろうな――。 「そう。」 なにかホッとしたような声で言うと、女は木立の中に消えた。 ――やはり、死ぬつもりなのか――。 |
7. ――やつらに違いない。あの女も、犠牲者だったんだ――。 すでに太陽は山の向こうに隠れようとして、最後の金色の光が幾筋か広がっている。 ――駅員の言っていた、黒ずくめのやつ…。 まさか。サイボーグは当時まだ開発されていなかったはずだ。いや、しかし、改造技術が実用化されるまでの――。 ブラックゴーストがこの山中に実験工場の1つを置いていたということではないのか。15年前、ショータの祖父は、やつらに殺されたのではないか。何者かを見て追跡しようとしたか、あるいは連れ出されたか。 ――そして、今度はショータがこの山の中で何かを見たとしたら――。 全くあり得ない話ではない。 ――やつらはオレの生身の身体とあたりまえの人生を奪った。そしてたぶん、何の罪もない老人と孫の生活と、命までも。だが、それだけじゃない――。 歯ぎしりをする思いで、ジョーは深い紫に変わってゆく空を見つめていた。 足元には、トンネルの闇が口を開けている。だが、やがてそれも夜にとけていくだろう。ジョーは、急斜面をゆっくりと登り始めた。 ジョーがサイボーグの仲間たちと再会し地下帝国ヨミへと旅立つことになるのは、この数ヶ月後である。 |
* その後、北海道追分機関区に残されていた3両が役割を終えた1976年、国鉄(当時)の営業用蒸気機関車は完全になくなった。 「煙止め装置」は、正式な名称ではありません。 |
・ トンネルにて ・
THE END