MOONLIGHT |
Variation
2 峠
By Ryo Shimamura
1. 峠に続くなだらかな闇。山の国から海の国へと、麻子はクルマを走らせる。乗り慣れた白い3DOORハッチバック。ときどき大型トラックとすれ違う。100キロの道のり。2時間弱の、孤独。 昼間なら、街道のこのあたりで 盛りを過ぎた梅が見えただろうか。 助手席にあの<ただのいのち>がいなくなって、4ヶ月半が過ぎた。 |
2. 去年の夏は、暑かった。麻子はほぼ週末ごとに、峠を越えた。 その半年前から、父親が末期ガンに加えて痴呆を起こしていた。身体の方にはガンの影響はほとんど現れていなかったので、入院は不可能だった。 子供にかえっていく父親は、母親にとって大きな負担になりはじめていた。老人施設のデイサービスには結局なじめなかったし、派遣されたヘルパーには極端な警戒心を抱いたから、あきらめざるを得なかった。 このままでは共倒れだ。麻子が週に一度実家に行って、父親を連れ出すことにした。少しでも母親に一人の時間を作るために。 父親は無表情の時が多かったが、クルマで走っている時は、うれしそうな顔をした。日曜日ごと、高速に乗り、田舎道を回り、麻子はあてもなく走った。 助手席に乗せているのは、自分の父親ではない。他の誰かとも違う。 |
3. 港へ船を見に行った。あいにく大型船は入っていなかった。 ゴミ収集車の後について、郊外のゴミ処理施設まで行ってみた。 観光道路の展望台にクルマを停め、移動販売車でかき氷を買って食べた。そういえば、久しぶりの氷いちごだった。赤トンボが飛んでいた。平野の向こうに、海がかすんで見えた。 たいていの場合、小型ボストンバッグを大切に抱えて、父親はクルマに乗り込んだ。中身は着替えと巻き尺その他、つじつまの合わない道具類。遠方まで仕事に行くつもりなのだ。 ぼけたら急に仕事熱心になったんやから。逃げてばっかりやったのにねえ。 |
4. 元気だった頃、父親はしばしば雲隠れした。どこへ行くのか。いったい誰と一緒なのか。仕事に行くと言って家を出て、仕事場には行かずじまいのこともあった。材料を切り間違えたからといって、寸法が合わないからといって、仕事を放り出して帰ってくることもあった。 建築関係の仕事では、他の工事を担当する業者との調整が欠かせない。その工事が終わらなければ次の工事に取りかかれない。ある業者の遅れは別の業者のスケジュールを狂わせる。都合がつかなければ、全体の工期が延びる。 父親は、他業者との連絡や問屋との交渉など、全て母親にさせていた。自分で電話に出ることはめったになかった。受話器を持った母親が通訳のようにして話の中継ぎをしているのを、麻子は子供心に「なぜだろう」と思いながら眺めていたものだ。 当然、様々な苦情も非難も母親が聞くことになった。母親にとっても寝耳に水という話が飛び込んできた。 だが迷惑をかけた当人は悪いと思っているのかどうか、ただ、尻拭いをしてもらうことを当然と受け止めているふうだった。一緒に仕事をしていた叔父たちも、困ったり怒ったりしていたが、だからといって見放すこともできなかったのだろう。 |
5. それなのに、どうして今さら<仕事>なんて。 あれほど運転が好きだったのに、父親は運転させろと言うわけでもなかった。シートベルトをしておとなしく助手席におさまり、神妙に前方注視しているのが、少し痛ましかった。たとえ運転しようと思っても、もう、どうやったらいいのかわからなかっただろう。 ときどき物珍しそうに車内のスイッチ類に目をやることがあったが、触れることはなかった。何が起こるかわからない。そう思っているかのようだった。ただ、一度走行中にドアを開けられそうになったから、それ以来ロックは必ず。 父親の指には、ロックを解除する力は残っていなかった。 |
6. 峠の秋が終わる頃、父親は入院した。ガンは増殖を忘れていたわけではなかったのだ。積極的な延命治療はしないことになっていたから、残された時間をただ見守るだけだった。 ここにいても、どうしようもないんやし。仕事しときなさい。 そして師走の初め、未明の電話で、あっけなく終わった。平均寿命まで、17年残っていた。 ――あの時、病院の駐車場でクルマを降りたら、まわりの林が風に鳴っていて。それまで、音なんて聞こえてなかったような気がしたっけ。 最後は自分だけの世界に生きた。病気の痛みも苦しみもなかった。<いい死に方>というのがあるとすれば、あれもそうなのかもしれない。
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7. 麻子は闇を登りつめ、ここから先は単線一方通行区間。オレンジ色に輝く峠のトンネルを抜けた。 ふと気づいた。音が、ない。エンジン音もロードノイズも、聞こえない。 ――ああ、そうだったんだ。これはCARINA 1600 GT。ヤマハのDOHCだっけ。ブラウンメタリックのセダン。 他にクルマはいない。2車線の道幅いっぱい使って走る。 重いステアリングを切ると、瞬時にクルマの向きが変わる。クルマをねじ伏せるようにして、すべり止め加工が施されたコーナーを抜けていく。 ライトに照らされた数字が白く見えているのに、メーターが読みとれない。なぜだろう。それなのに、当たり前みたいに走っている。なぜこんなに静かなんだろう。そういえば、なぜメーターまわりのアルミパネルの色がはっきり見えるのだろう。 ――だけど、そんなことより・・・・・ |
8. ――自分は、誰なんだろう。 けっきょく誰かが始末をつけてくれるんだから、それでいいじゃないか。人に迷惑?他人の痛み? 痛いのは他人で、自分じゃない。 誘われて断るなんてことはできない。遊びに行くから休むなんて言えやしない。 俺がいなかったら、ちゃんと段取りして片づけるのがあいつらの仕事だろう。連絡しなくていいのか、って? 何言われるかわからないじゃないか。 いつも逃げている。責任など負いたくはない。そんな意識が、自分の中に広がっていく。 おらん間に電話かかってこんだやろか。何もなかったらええけど。いややな。 だいたい、あいつらも何でわざわざ家に電話してくるのや。おらんのわかっとるやろうに。 そやから、はよ帰らんと。な、こうやってなるべく早う帰ってやっとるのや。俺かて気兼ねしとるやないか。あいつら、それがわからんのか。 ばれてへんやろか。うまいこといったやろか。 キンコン、キンコン、キンコン・ ・ ・、チャイムが鳴り始めた。 胸が苦しい。精神的圧迫感。何かにおびえているような、何かに追われているような。どこに行けば、何をすれば、逃れられるのだろう。 キンコン、キンコン、キンコン・ ・ ・、頭の中に、100キロオーバーのチャイムだけが鳴り響く。 ――なぜだろう。自分は、誰なんだろう。 |
9. 突然、レーダーのアラームが鳴った。耳に突き刺さる最大ボリュームの電子音。 はっとした瞬間、アラームは断続音へと変わり、音の間隔が長くなり、そして、沈黙した。 ――そうだ、チャイムなんて鳴るはずないんだ、ついてないんだから。 見慣れたメーターパネル。ディープブルーのバックに浮かび上がる、ライムグリーンの数字とオレンジ色の細い針。自分のクルマだった。父親が昔乗っていたCARINAではなかった。 道は少しなだらかになり、対面通行の直線部分まで来ていた。少し先に明かりが見えた。路肩が広くなって、自販機がおいてある。 頼りない蛍光灯と自販機の光に照らされたそれは、やはり自分のC83Aだった。エアロバンパーの少し生意気な顔で、出発を待っている。 ――さっきのアラームは・・・・・ それに答えるかのように、パシッと音がしてコンプレッサーのスイッチが入り、エンジン回転が上がった。 ――きっと、対向車のレーダーよね。 |
10. コーラを飲んでしまうと、麻子は峠道の続きを下っていった。 一連のコーナーを軽やかに抜ける。いつもの4WDの安定感。聞き慣れたエンジン音。乾いたアスファルトの音。スピードを上げても、もうチャイムの音は聞こえない。 道は平地に入った。 ――さっきのは何だったのだろう。あの感じ。まるで、自分が別の誰かになってしまったみたいな。誰かの心が飛び込んできたみたいな。 ずっと、困った人だと思っていた。自分勝手な人だと思っていた。だけど、<ただのいのち>になってしまったとき、やっぱり悲しかった。そしてそれがいつか終わることを思うと、涙が出た。もちろん死んだときには ・ ・ ・。 それでも慰めはあった。「やりたい放題やって太く短く生きたのだから。」 しかし。もし父親がさっきのような気持ちでずっと過ごしていたのだとしたら? 傍若無人で周囲の迷惑一切お構いなし、どう思われようとまったく平気、それならまだマシだと思う。少なくとも当人一人は幸せだから。 それが、みんなを困らせ不快にさせておきながら、小心なために、びくびくおどおどしていたら。当人さえも幸せになれない。誰も救われない。 |
11. ふと子供の頃のことを思い出した。 あれは、あの人の弱さだったのだ。子供に対してだけは、絶対的優越者でいられたのだ。 そう、最期の痴呆状態は逃避だったのではないか? 小心で意志薄弱な人格が、何の不安も心配もなく過ごせる世界へ。 そこでは自分は「仕事熱心」な父親であり、自分の母親を待ちわびる子供だった。何の責任を負う必要もない。誰をだます必要もない。自分をごまかすこともない。 その意味では、やはり幸せだったのだろう。そして、やはり自分勝手だったのだ。 闇はしだいに軽くなり、街道沿いの街が次第に密度を上げてきた。信号は深夜モードの黄色点滅。あと20分も走れば、銀河のように広がるコンビナートの灯が見える。 |
12. 翌日、母親とささやかな彼岸の仏事を済ませ、遅い昼食を一緒に取って、麻子は峠に向かった。 峠越えの西行きルートは比較的新しい。いくつもの高い橋で谷を越えていく。 以前の西行き上りループの出口が見える。今は下を走る東行きルートにつながっているが、使う人はほとんどいない。 父親に走り方を教えてもらったわけではなかった。自分で考え、自分で走ってきた。 峠のトンネルの手前、橋が曲線を描き、S字につながっている。 なれたら70キロ以上でも曲がれるぞ。 ――しかし、走ること以外に、親を越えたと思う事柄がないというのは、どういうことだろう。あの人は、私が意識して越えるべき何かを他に持っていたのだろうか。持っていたとしたら、私はそれを越えたのだろうか。 また昨夜のことを思った。 父親が生きていた時間とは、いったい何だったのだろう。 ――せめて、自分がこれから生きてゆく時間は・・・・・。 麻子はライトをつけて、山の国へとつながるトンネルに入っていった。 |
・・ 峠 ・・ THE END |
☆ 登場人物および団体は、実在のものと一切関係ありません。 注(ありがた迷惑)
CARINA 1600 GT: 1977年にフルチェンジしたトヨタ CARINA 1600 GT、セダン。Gross 115ps(おおむね15%割り引くと net の値になる)のヤマハ製DOHCエンジンが積まれていた。ボンネットを開けると、カムカバーにはでかでかと「YAMAHA」の文字が入っていたような気がする。 チャイム: 1989年頃まで、時速100キロ(軽自動車は80キロ)以上になると音が出る速度警告装置をつけることが定められていた。メーカーによって警告音は様々で、「キンコン」鳴るチャイムもあれば、「プープー」「ピーピー」のブザーもあった。(今は車によっては任意の速度で作動設定が可能な警告装置がついているようだ。) レーダー: 他車のレーダーの電波をキャッチしてもアラームは鳴らさない機能はついているが、完璧ではない。自動ドア(電波式)にも反応する。
・ 今回も峠。やはり異なる世界を隔てかつ結ぶ、不思議な力を持つ場所として使っています。モデルはR1の鈴鹿峠です。 ・ クルマはC83A、1990年式の三菱 MIRAGE
CYBORG 16V-T 4WD (1600 DOHC 16VALVE, INTERCOOLER TURBO)、net.
160ps。 ・ このストーリーの<不思議現象>は、<孤立と感覚刺激の低下によって引き起こされた幻覚>とも<異界に引き込まれた>とも取れるのですが、普通なら緊張が生じる急勾配連続コーナーにさしかかったところで始まっているので、<異界説>やや有利という感じでしょうか。お彼岸という時節でもありますし。 ・ ジャンルとしての<ロマンス>とは何か。少なくとも私にとっては<ロマンス=恋愛小説>ではありません。おおざっぱに言うと、<娯楽を目的とし、どこか現実の日常生活と乖離した要素を持つ読み物>。ですから、ファンタジーもSFも、ウソみたいな恋愛小説も、<ロマンス>。 島村 涼 |