MOONLIGHT |
・Variation 1 送 り 火
A Ghost Story of Late Summer
By Ryo Shimamura
1 「なぜ 人は この世界に 存在するのだろう。 「こたえは たぶん 満天の星のかなた、こころが からだごと吸い込まれるような、そんな感覚が」 やめてくれる?もお、だまってポップスでもかけといてくれたらいいのよ、まったく。 FMを切って、麻子が窓を開ける。雨は止んでいた。闇の中から、8月の緑のにおい。 ヘッドライトに照らされて光る路面とガードレール、路肩の雑草。 けっこう当たってると思うよ、オレは。そんな感じだったもんなあ、あの時。 ・ ・ ・ ・ ・ 麻子は黙って、次のコーナーの、出口を見つめている。 ・ ・ ・ ・ ・ どうして消えるのよ。 よそ見すんなよ。 あのね、どうして私がいちいち幽霊の出現確認とかするわけ? ハイ見えました、どうぞお話しくださいって、言うの? だいたい、・・・ ああ、今度からそうしてくれると ありがたいけど。 ゆるいコーナーを抜けて短い下り直線。事故のあと出っ張ったままのガードレールをかわし、ひねるみたいにして一気に右に上がる。 おいっ、なんっつー曲がり方すんだよっ! いちいちうるさいわね。ぶつけたわけじゃないでしょ。 ・ ・ ・ おまえさー、なんかヘンだぞ、ここんとこ。 ヘンに決まってるでしょ、幽霊とつきあってるんだから。ちょっと黙っててくれない? |
2 湖の街にまだ雪がちらつく頃、麻子はこのクルマを中古で買った。傷ひとつなく、よく手入れされた白い車体。確かに走行距離は少し多めだったが、それにしても破格の価格がついていた。 それまで乗っていたのは旧規格のKカーだったが、すぐに慣れた。安定感があって、普通車にしたのは正解。それほど大きくなくて、扱いやすいのが合理的。一人暮らしのOL1年生としては、お買い得が経済的。 それに、クルマの調子はとてもよかった。 <かしこい消費者>っていうのは、こういうことなんだよね。 |
3 春が来た。その夜はサクラが見頃だった。盆地の街から湖の街へ帰る途中、峠道のレストハウスにクルマを停めて、麻子は自販機でコーヒーを買った。 誰もいない駐車場。1本だけの水銀灯に照らされた満開のサクラと、その下の白いクルマ。 なんだかとてもきれい。 しかし。クルマに戻ろうとして、麻子はコーヒーの缶を落としそうになった。誰かクルマの横に立っている。ラフなシャツ、自分と同じか1コ年下といった感じの、男。 ああ、そうか、さっきからどこかにいたの、気がつかなかったんだ。この先で溝落ちしちゃったのかも。でも、乗せてあげるのってちょっと ・ ・ ・ 。 そう思った瞬間、姿は消えていた。 一瞬ぞっとした。しかし、麻子は<ただの幻覚>だと思うことに決めた。 べつに欲求不満ってわけじゃないと思うけど。年末にカレと別れたのだって、すっきりしたと思ってるんだし。でも、ちょっと私好みだったよね、さっきの・・・。 そう思いながらドアに手をかける。ふと横を見て、今度は本当に、手に持った缶をとり落とした。<ただの幻覚>が、そこに立っていた。 やわらかそうな茶髪。長めの前髪が、右眼にかかっている。背が高い。 やっと、オレが見えるようになったんだ、ずいぶんかかったなあ。 そう言って親しげに笑うのを無視。とりあえず落とした缶を拾い、砂を払い、ドアを開けて、麻子はクルマに乗り込んだ。 <ただの幻覚>だ。はやく帰って寝よう。 −−−やはり姿は消えた。 |
4 八重ザクラが咲いて、散った。 その幽霊は、見えたり見えなかったりした。どうも、麻子がなにか<ふわっと>した気持ちのときは、見えるようだった。最初は認めたくなかったが、ついに根負けした。 カリカリしてるときは波長が合わなくってさー、それで見えねーんだよ。オレ、夜はずっと出てたんだけど。 なによ、街灯みたいなヤツ。 それは確かにそこに存在するものだ。それなら、それを存在するものと認めるのは、合理的なことだ。たとえそれが自分一人にとってのみ存在するものだとしても。 もう麻子はそんな理由づけが必要だとは思わなかった。 こういうのもいいかも。 幽霊の名はユージといった。 |
5 でも、今はこのクルマがオレの身体ってわけだから、C83Aっていうのかな。 やだ、ユージでいいじゃない、生きてたときと同じで。 ちゃんと前見てろ。 聞いたら泣くぞ。 だいたいのとこは、想像してるのよ。これ、ユージのクルマだったんでしょ? で、もっと走りたかったのに、未練を残して死んじゃった。 わかってんなら訊くなよ。 病気だったの? ・ ・ ・ ・ ・ ・・・あ、悪かった? ほんとーに、聞きたいのか? ・ ・ ・ ・ ・ ・・・・・どーしても聞きたいんなら、あそこのコンビニに入れろ。あぶねーから。 |
6 10台くらい入る駐車場の、一番端。 麻子は走り屋じゃねーから、知らなかったんだよな。 きれいで、調子良くて、どうせ前も MT だったし。それに・・・・安かったの、すごく。 だろ。で、そりゃ買い手がつかなかったからだ、って、考えなかったか? だって・・・・・。でも、そんなこと聞いてるんじゃないのよ私。なによ、私がこれに乗ってるの、不満なわけ? そーじゃねーんだよ。オレさー、このクルマで事故って、それで即死だったんだよ。 うそ。だって、どこも何とも・・・・・ ああ、車体はほんとに どーもなかったんだ。割れたバンパー取り替えただけで。 ただ、飛んでったときに思いっきりふられたもんで、首の骨が折れちまった。 ああ、だいじょーぶだぞ、そのシートも取り替えてあるからさ、さすがに。 どうしてそんなふうに、スキーで転んだ話みたいに、そういうこと言うのよ・・・・・ 突っかかってみようと思っても、声が出ない。クルマを降りようと思っても、身体が動かない。 みんな見てたから、知ってるんだ、これが<事故車>だってこと。走り屋仲間から広まって、けっこう有名になっちまった。 ・ ・ ・ ・ ・ あれ? なぁおい、見えてんのかよ。ちゃんと聞こえてんのか? |
7 麻子は泣きそうになった。<恐怖>ではなかった。単純な<同情>とも違った。なぜだかわからなかった。 なんだか、ずいぶん遠い・・・ だから言ったろ、泣くぞって。ああ、オレ しばらく消えてた方がいいかな。 ユージが少し申し訳なさそうな顔をする。 麻子はあせった。 泣いてなんかないよ。ちょっと考えてただけじゃない。 やっと言葉が出た。 ふーん、そうだったの、それはお気の毒だったのね。 去年の秋、西の山でさ。 いつも通る峠でなくてよかった。 店の明かりは、ちゃんと駐車スペースの向こうに見えた。 なんだったんだろう、さっきの感覚って。 |
8 ユージは淡々と話をした。 それで、なんだか、星が広がってるよりずっと遠くに来ちまったみたいな気もするし、そっちのほうに飛んでいく途中みたいな感じもするんだ。 思い出した、っていう感じで、わかったんだよな。このままいくと、この世界全体といっしょになって、<オレ>は消えちまうって。 あ、・・・・・ さっきの、そんな感じだった。もしかしたら・・・ ユージが言葉を切って麻子を見ている。 あ、なんでもないったら。 そりゃ、生きてる人間の気休めってもんだな。自分が死んでどうなるか、って考えたとき、<それでおしまい>じゃ、やりきれねーよ。 何もできないで終わるのはイヤだ、もうちょっと<オレ>でいたい、って思った。だけど、もう身体は使いもんになんねーだろ。で、こいつに入ったんだ。そーゆーわけなんだよ。 でもそれにしても、クルマってねえ。 結構<らしい>だろ、テンロクのDOHCターボ、って。 ずっと、いられるの? 期限つき、盆までなんだ。残ってるヤツはみんないっしょだよ。オレなんか去年の秋からだから、残留期間長くてトクだよなあ。 そういうのって、性格なの?悟りなの? どっちしたって、グタグタ言ってもしょーがねーだろ。 ・・・・・ほんとは誰かに会いたかったからとか、・・・・・ なんだ?それ。 えっと、だから、連れていってあげようかな、って。行きたいとこがあったら。 ふーん、いいのか? じゃ、峠。 |
9 ユージは、いっしょに<走って>ほしいと言った。 そしたら、ちゃんとうまく・・・速く走れるようにしてやるからさ。 麻子は同意した。しかし、<魔法>で速く走れるわけではなかった。 どうしてそんなこと、いちいち。教習車に乗ってるんじゃないのよ。 麻子は心の中で反発したが、ユージに<できない>と思われるのはイヤだった。それに、そういうときのユージには、なにか逆らえない雰囲気があった。 基本どおり、正確に走れよ。最初はゆっくりでいいから。 曲がりくねった峠道のセンターラインには、凹凸加工とキャッツアイ。山側、深い側溝にはフタがない。谷側の割れたアスファルトの下、砂壌土の路肩はもろい。路肩の白線もセンターラインも踏まないようにして、車線幅を最大限使う。 なるべく外に寄って。ちゃんと曲がれるスピードで入らないとダメだぞ。 先を見て、ブレーキの位置と強さ。立ち上がりは思いっきり。 どーしても、ってときは、アクセル一瞬戻してみろよ。 そうすると簡単にクルマの向きが変わるのが、ちょっと不思議だった。 なれてくると、走るのが楽しくなった。 ね、きれいにコーナー抜けると、道路が自然に動いてるって感じするよね、自分のほうじゃなくて。 ああ、気持ちいいだろ? 正確に走れば、無理なことしなくたって速くなるんだ。 ユージも、うれしそうだった。そして、いつもこう言った。 きちんと走れよな。速いのと乱暴なのとは別だからな。 行けるときは毎晩走りに行った。ユージは、夜でも走るときしか出てこなかった。なにか、それが<クルマに憑いた幽霊のけじめ>とでも思っているようなところが、麻子にはおもしろかった。 そうして夏になった。 |
10 勝手にすればっ?! ユージは消えたきりだった。 下り直線。次は大きく左。センターのキャッツアイぎりぎりに寄り、フットレストに移した左足に力を入れる。このコーナーは途中橋のところで折れて、もう一段きつくなる。 橋の入り口をかすめて抜ける。いつもなら、もっと余裕があった。 なによもぉ、人の気も知らないで。 さっきラジオの言葉に苛立ったのも、それが このところいつも考えていることだったからだ。 自分は生きていてユージは生きていないと、なぜ言えるのだろう。 そう思うこと自体<ヘン>だということは、麻子にもわかっていた。それでも、気がつくとまた同じことを考えている。 あと10日。・・・・・なぜそんな平気な顔してるのよ。ほんとうに平気なの? ほんとうに消えてなくなってしまうのに。そんなのって・・・・・ もう時間がないのに。 2コ先のコーナーに対向車。ライトを切り換える。 ・・・・・そうなんだ。 少し広くなったバス停に、麻子はクルマを入れた。 しばらく待って、そこからターンした。湖の街まで、今度はきちんと走る。 明日の夜は、きっとあえるよね。 |
11 盆休みに入っていた。その日、麻子は夕方まで暇をつぶした。する事がなくなると、考えまいと思っていたことが頭に浮かぶ。 車体に水をかけ、スポンジでこすりながら、また昨夜の話を思い出す。 明日は最後だから、五山の送り火でデート、ってどう? そんな顔、しないでくれる? 頼むからさー、・・・・・ そして、今夜で最後。 <走馬燈みたいに>なんてダサいと思ってたけど、昔の人は偉い。そんな感じなんだね、やっぱり。 今になってみれば、いろんなこと、みんな<わかる>ような気がする。 ぎりぎりにならないとダメなんだよね、いつだって。 まだ明るかった。ついでにコーティングもして、最後にエアをチェック。暑かったが、それだけ身体を動かしたら、少し気持ちがすっきりした。 |
12 夜10時。星空が広がっている。風が涼しくなった。湖の街は、ほんの少し秋がはやい。 じゃ、行こーか。 いつもの笑顔でユージが現れる。 いつものように走り出す。街をぬけ、山すその道を峠に向かう。 いつもなら、このあたりではずっとしゃべっている。仕事のこと、聞いた話。ユージは、笑ったりあきれたりしながら、つきあってくれた。ときどきは、口げんかになったけれど。 やだ、もお。 絶対に、泣かない。ユージの顔がちゃんと見えないもの。 少しきつい上りの信号。右に折れてS字カーブ。先に入ったクルマはない。一気に加速して、峠を上っていく。 <走り>だしたら、もう他のことは考えない。正確に、速く走る。きれいなラインを描く。ユージが教えてくれたように。 レストハウスの前を過ぎ、峠を越える。麻子は何も言わない。ユージも黙っている。2人で同じ1つのエンジン音を聞いている。 いつもの道、4灯ヘッドライトに照らし出される世界が、この世ではないように見えた。 電柱、ガードレール、擁壁、夏草の茂み。二人だけの世界が、また流れはじめた。 |
13 レストハウスの駐車場。水銀灯の下、葉を茂らせたサクラの木と、白いクルマが1台。麻子がドアを閉め、そばの手すりにもたれて湖の街を見下ろす。 レコード更新だな。 うまくなったよなぁ、ほんとに。 でも、ユージが走ったらもっと速いよね、きっと。 さあ、どーかな。生きてたとき めったにこの峠走ったことねーから。 今だって生きてるよ、ちゃんと。 ターボタイマーが切れ、エンジンが止まった。虫の音(ね)と谷からわき上がる蛙の鳴き声が、ひときわ大きくなる。 私 感謝してるのよね、ユージに。・・・・・ほんとうに ありがとう。 感謝、って、そりゃオレの方だろ。いっしょに走ってくれて・・・・・ ううん、わかるのよ、<ユージが>いっしょに走ってくれたんだって、私のために。あのままじゃ下手くそで危ないと思ったんでしょ? 「何もできないで終わるのはイヤだ」って言ってたの、自分じゃなくて<誰かのため>だったんだよね。だから・・・ 照れるよ、そーゆーの。 サクラの枝の影が風に動いて、クルマが少し揺れたように見えた。 |
14 あ、オレ、もうそろそろ行かねーと。 ね、送り火、焚こうか。ちゃんと送ってあげる。 うん? ああ、だけど、どーすんだよ。燃やす物なんてねーぞ。 だいじょうぶ、ちょっと待って。 クルマに戻り、灰皿を引き抜いて、中の小銭をコンソールボックスに落とす。 ミッキーマウス柄のくず入れにたまったスタンドと高速道路の領収証を、少しずつひねって、灰皿に乗せる。 ほんの少しためらって、麻子は最後の1枚にサインペンを走らせ、これは中の方に入れた。 レーダーの電源コードをソケットから抜き、ライターを差して、準備完了。 2回目で火がついた。丸太テーブルの上に灰皿を置く。小さな炎がゆれる。 こういう送り火って、ユージらしいよね。 言えてるよな。 道に迷わないでね。 そっちも事故んなよ。 ・・・・・あ、あの、オレ、・・・・・ 言いかけて下を向いた。 炎が燃え進む。麻子はユージを見つめている。 ・・・・・どうか、伝わって。 最後に入れた1枚に、火がついた。 ああ、うん、オレもだよ。・・・・・じゃーな。 いつもの笑顔で、ユージが消えた。 ・ 送り火が燃え尽きた。 夏の終わりの星が、涙のむこうで空いっぱいに広がっていた。 |
Valiation 1 送 り 火
THE END
☆ このストーリーの登場人物は、実在の人物とは一切関係ありません。 注(ありがた迷惑): 6 MT 8 テンロク 13 ターボタイマー 13 レーダー 解説(よけいなお世話): ・古来、峠は2つの異なる世界を隔てるものであり、峠道はその2つの世界を結ぶものでした。湖の街と盆地の街との間にある峠のレストハウスは、麻子が幽霊のユージと出会い、そして別れるのに、似つかわしい場所だと思います。 ・ストーリーの設定年代は、クルマの型からいえば 1994 年頃が妥当なところでしょうか。数年ごとにモデルチェンジがあるので、どうしても時代が固定されてしまいます。ですが、それさえ気にしなければ、2000 年の現在に持ってきても内容に影響はないと思います。 ・クルマのことについては、作者もあまり詳しくはありません。雰囲気がそれらしければ、というところで、あとは例によってほっかむり状態です。 ・麻子の外見については何も説明していません。お好きな設定でお楽しみいただけたと思います。 ・編集人の第一声は、「これって、何様向け用?」。 ご〜〜ん、そうでした。クルマに興味のない人にとってはおもしろくないだろうし、クルマ通にとっては物足りないだろうし。 どうもすみません。 作者敬白 |