カラスウリ
木造の、黒い工場<こうば>。高い片屋根は北側がより高く、その軒の近くに一列、明かり取りの窓が並んでいた。すりガラスであったのか、一様に汚れていたのか。
入り口灯の笠がゆがんでいる。石の段が1つ。木の扉がきしむ。昼間でも暗い。工場のにおい。子供の目には、広い。突き当たりには引き違いのガラス窓。そのむこう、ネギ畑の明るさは、夏の夜に外から見た部屋のようだ。
年月に磨かれた木製台。そこに据えた、黒光りする機械。動物の像のようだと思っていると、声がした。手前に傾斜した広い棚に誰かが寝転がっていて、起きあがった。私は誰を呼びに行ったのだったか。
リンリンリンリン・・・。裏の細い地道を、音が近づいてくる。自転車の荷台に重ねた平たい木箱。いつも、曲がり角に突然あらわれた。
祖母の家の勝手口。風呂の焚き口の、燃えかすのにおい。新聞紙にくるんだ野菜のにおい。板の間で大きな木箱の蓋が開くと、大福餅のならぶ段、みたらし団子と五平餅の段。
白い大福はこしあん、薄紅色は粒あん。薄紅色はただ眺め、買ってもらえるのは白い方。あの五平餅は、ほんとうに祖母の言うほど硬かったのか。餅屋は、いつから来なくなったのだろう。
ほこりっぽい裏庭。その北側、暗い窓のアパートは、異界。古い平屋の屋根が傾いていたからではなく、伸び放題の生け垣のせいだ。有刺鉄線。倒れかけた支柱。ときおり動く人影は、もののけか人さらいのように、鈍い色をしていた。
槙の木。紫陽花。無花果。物置小屋。建付けの悪い薄い板戸。破れていたのは、誰かが蹴ったのだ。ぬか味噌のにおい。たわむ床板。水屋<みずや>の引き戸は、ざらざらと音がしてあいた。ほこりの積もった、青い絵の徳利と小鉢。
炭俵の中で、死んだ猫がきれいに乾燥していた。持ったら軽かったのか、ただ軽そうに見えたのか。
遠い記憶。このフォルダに入っている画像は、どれも周辺が不鮮明で暗い。それは年月のせいだけではない。
子供の目に見える範囲は、狭い。肉体的にも、精神的にも。鮮明ではあっても画像のサイズが小さい。倍率を変えずに現在の視野に収めると、周辺部分のデータが不足するのだ。
視野が小さいための、ゆるやかな恐怖と不安。――なんだろう? なぜだろう?――今なら当然のことが、わからなかった。それが周囲の薄暗さに現れているようでもある。
大人になるということは、様々なものが見えるようになるということだ。視野が広がる。高い視点で遠くが見える。ものの後ろに何か隠れているのがわかる。
それは、ひとつの代償だ。大人になるということは、誰かが言ったように、少し残念なことなのだから。
しかし、その代償のおかげで、より満たされない思いをするようにもなった。
だからなのか、新しく作られたファイルから順に、開けなくなる時が来るらしい。最後まで残るのは最も古いフォルダで、そして、いつかそれも消えてしまう。
空の色は、わからない。あのでこぼこの道。黒い工場<こうば>の高い軒あたりに、カラスウリが咲いている。白い星形の外側に、長く広がる繊細なレース。白い血管。図鑑で見た通りの血管が、頬のすぐ内側でざわざわとした。それでも見上げていた。
カラスウリは夏、日没後に開花する。空は紺色になりかけていたはずだ。そんな時刻に、小さな子供が独り外で何をしていたのか。なぜ、そこだけはっきりと見えたのか。なぜ、誰にも話さなかったのだろう。
黒い高窓に朱赤の実が1つ。金色をおびた艶。あの花と同じ位置。枯れた蔓。たぶん晩秋の夕暮れだ。あの時も、独りで見上げていた。
卵形の実は穏やかな夕陽の光を集め、静かに満足しているように見える。やがて地面に落ちて砕けるのを、ゆっくりと待っているように見える。
もしも選ぶことができるなら、最期に見ているのがこの絵であればいい。薄暗い背景に浮かぶ赤いカラスウリの実。自分の時間が結実しているような気がして、そのわびしい安心感が心地よく思われてならないのだ。
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