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宮沢賢治 『水仙月の四日』より




雪童子(ゆきわらす): おそらく子供の姿をしている。皮鞭を鳴らして雪を降らせる。人の目には見えない。

雪狼(ゆきオイノ): 雪童子が連れている狼。雪童子と共に雪を降らせる。人の目には見えない。

雪婆んご(ゆきばんご): 雪童子を使って雪嵐を起こす。猫のような耳、ばさばさの灰色髪、ぎらぎら光る金色の目、裂けたような紫色の口、とがった歯をしている。やはり人の目には見えない。




晴れた空、あたり一面に積もった雪。人間の子供が赤い毛布<けっと>にくるまって峠に向かって歩いています。雪童子がリンゴのような顔を輝かせ、二頭の雪狼を連れてやって来ました。

雪童子は金色の宿り木の枝を子供に投げてやります。子供には雪童子の姿は見えません。びっくりしましたが、ひろった宿り木を手に持ってまた歩き始めました。

すこしすると、急に風が吹いてきて、空が暗くなりました。雪婆んごが、雪童子を三人連れてやって来たのです。

「ひゅう、なにをぐずぐずしているの。さあ降らすんだよ。降らすんだよ。」

雪婆んごに命じられて、四人の雪童子は皮鞭をふって雪を降らせます。風を吹かせます。雪狼も駆け回ります。

みんな顔いろに血のけもなく、きちっとくちびるをかんでお互い挨拶さえもかわさずに、もうつづけざまに、せわしく皮むちを鳴らし行ったり来たりしました。

何も見えない激しい吹雪の中、雪童子はさっきの子供のかすかな泣き声を聞きました。

雪童子のひとみはちょっとおかしく燃えました。

雪童子は子供のところに駆け寄りました。「動かないで、そのまま毛布をかぶって倒れておいで。」 けれど、子供にはその姿は見えません。その声も聞こえません。ただ風の音だけでした。

「そうそう、こっちへとっておしまい。水仙月の四日だもの、一人や二人とったっていいんだよ。」

雪婆んごの言いつけに従うふりをしながら、雪童子は子供をわざと突き倒し、凍えないように雪のふとんを厚く掛けてやりました。「そうして眠っておいで。」

「あの子供は、ぼくのやったやどりぎをもっていた。」 雪童子はつぶやいて、ちょっと泣くようにしました。

夜明け近くになって、やっと雪婆んごはひきあげました。晴れた空には一面に星が輝きます。ほっとした雪童子たちは、初めて挨拶をかわします。そうして、三人は帰っていきました。まもなく夜が明けました。

雪童子も雪にすわってわらいました。その頬はりんごのよう、その息は百合のようにかおりました。

雪童子は子供の埋まっているところへ行き、雪狼に雪をけたてさせます。赤い毛布の端が雪の中からのぞきました。山の方から、子供を捜しに人がやって来ました。

「おとうさんが来たよ。もう目をおさまし。」 雪童子はうしろの丘にかけあがって一本の雪けむりをたてながら叫びました。子どもはちらっとうごいたようでした。

青字は『水仙月の四日』よりの引用


雪童子はうしろの丘にかけあがって一本の雪けむりをたてながら叫びました。



マウスポインタをイラストにのせると雪童子が消えます。
(ブラウザによっては動かないことがあります。)




人間の目には見えない。声も聞こえない。そんな雪童子にとって、自分が投げた宿り木の枝を受け取ってくれたというだけで、吹雪の中でもそれを持っていたというだけで、その子供は『特別』の存在になるのですね。だから、助けようと思った。

雪婆んごが「こっちへとっておしまい」と言うのは、命を取って『こちら側』の存在にしてしまえということでしょう。昔よくいわれた「子盗り」を連想させます。子供をさらってきては、こき使ったり売り飛ばしたりする。なにか、雪童子というのは雪の中で死んだ子供がなったのではないか、と思えてきます。

そうだとすれば、雪の山からはるかに町を眺める雪童子は、自分がかつて人間の子供だった記憶を心のどこかでよみがえらせているのかもしれません。

子供を助けた雪童子は、仲間たちに「大丈夫だよ。眠ってるんだ。あしたあすこへぼくしるしをつけておくから。」と言います。もし人の命を取ることが彼らの本分であるなら、またそうすることを望んでいるなら、「大丈夫」という言い方はしませんし、だいいち内緒にしておくはずです。彼らは雪を降らせますが、できることなら雪では誰も死なせたくないと思っている、そんなふうに感じられます。

歳をとらず、不思議な力を持つ。もし元は人間だったとしても、もとの人間には戻れない。人間と同じには存在できない。だけど、普通の人間に暖かい気持ちをいだく。――というわけで、雪童子。御子様ふうに描いてみました。読み方にご注意、「ゆきわらす」です。



少なくともこの作品において宮沢賢治は『雪』そのものを本質的に人間の敵であるものとは見ておらず、人間に近しい存在ととらえているように思われます。

たしかに、荒れ狂う冬の天候に組み入れられた場合に、雪は人間にとって脅威となる。けれど、『雪』自体には、人間に害をなそうとする意図はない。そんなふうに。(もちろん自然だから、意図ってないけど。) しかも、そうして山に積もった雪は春にはとけて田を潤すのです。

――宮沢賢治が創り出した雪童子の背景には、古くから信じられてきた水として循環する祖先霊、死者の魂のようなイメージがあるのかもしれない――などとも、想像してみたりするのでした。


『水仙月の四日』をお手軽に読むには、岩波文庫『童話集・風の又三郎』。


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