Monthly Special * February 2006
 William Morris

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FEBRUARY


Noon--and the north-west sweeps the empty road,
The rain-washed fields from hedge to hedge are bare;
Beneath the leafless elms some hind's abode
Looks small and void, and no smoke meets the air
From its poor hearth: one lonely rook doth dare
The gale, and beats above the unseen corn,
Then turns, and whirling down the wind is borne.

Shall it not hap that on some dawn of May
Thou shalt awake, and, thinking of days dead,
See nothing clear but this same dreary day,
Of all the days that have passed o'er thine head?
Shalt thou not wonder, looking from thy bed,
Through green leaves on the windless east a-fire,
That this day too thine heart doth still desire?

Shalt thou not wonder that it liveth yet,
The useless hope, the useless craving pain,
That made thy face, that lonely noontide, wet
With more than beating of the chilly rain?
Shalt thou not hope for joy new born again,
Since no grief ever born can ever die
Through changeless change of seasons passing by?




*****



如 月



真昼――北西の風が空っぽの道を吹き抜ける、
雨に濡れる畑は 生け垣から生け垣までが 裸だ。
葉の落ちた楡の下には 農夫の住まい
小さく虚ろげで その貧しい炉床から
空と出会うべき煙は上らず。 はぐれたミヤマガラスが
騒ぎたて、ここから見えぬ麦粒の上で羽ばたき、
やがてクルリ。舞い降りる風が生まれる。

こんなことは起こらないだろうか? 弥生のある夜明け
君は目覚めて、去った日々を考えるのだが
頭を過ぎていった日々の中でも
まさにこの陰鬱な日しか くっきりと思い出せないなんてことは。
君は不思議に思わないだろうか? 寝床にあって
あるかなしかの東風にもえる緑の葉を 透かして見ながら、
自分の心が この日をもなお求めていることを。

君は不思議に思わないだろうか? 今もまだ存在するんだと、
甲斐のない望み、甲斐なく求めることの痛みが、
それが君の顔になったのだけれど、それからあの孤独な真昼も、
びしょ濡れは 冷たい雨だけではなかったのだけれど。
君は 喜びがまた新たに生まれることを 願わないだろうか?
生まれた悲しみは 消えることなどないのだもの、
過ぎゆく季節の 変わらぬ移ろいの中で。



*****


William Morris (1834-96)


オックスフォード大学に学ぶが志を変えて画家を目指した。詩人であり画家であると同時に、織物、染色、印刷などの工芸家としても活躍した。また、社会改革をめざす実践的社会主義者でもあった。ラファエロ前派との親交が深く、大きな影響を受けている。

1861年にラファエロ前派のロセッティを含む数人の芸術家とともにモリス・マーシャル・フォークナー商会(のちに単独でモリス商会発足)を設立し、家具、プリント生地、タピスリー、壁紙、ステンドグラスを制作した。

モリスが目指したのは、作り手にも使う人にも喜びとなるような、質を重視した手作り工芸だった。当時急速に普及した工業機械による俗悪な大量生産品とは逆方向である。モリスとその仲間のデザインはイギリス大衆のセンスに革命をもたらしたといわれる。

モリスが理想としたのは中世の世界であり、社会主義宣伝のための作品 News from Nowhere (1891) には労働と芸術活動とが一致する中世的なユートピアが描かれている。

ファファエロ前派については March 2000 を参照のこと。



この詩の第1連には、2月の荒涼とした畑の光景が少しシュールな雰囲気で描かれる。写実的な描写ではなく、心象風景として水墨画のような印象を与える。普通の美的基準でいえば決して美しくはない景色が、その時の心模様にピッタリ重なって、忘れられない絵となり、鮮明に記憶に在りつづける。まるで自分の本質がその荒涼とした景色であるかのように。

だから心は何度もその光景に帰っていき、頭はそれを不思議に思う。「なんだろう? なぜだろう?」春の緑を透かして真冬の寒々とした景色が思い出されるのを、読者も遠い目をして訝ってしまう。

>生まれた悲しみは 消えることなどないのだもの、
>過ぎゆく季節の 変わらぬ移ろいの中で。

ラスト2行は一見平凡に見えるが、改めて考えてみると、英文学というより日本的だと感じられる。それとも、時代と文化の差を問わず共通のセンスなのだろうか。



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