Monthly Special * May 2002
 William Wordsworth

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The Solitary Reaper


Behold her, single in the field,
Yon solitary Highland Lass!
Reaping and singing by herself;
Stop here, or gently pass!
Alone she cuts and binds the grain,
And sings a melancholy strain;
O listen! for the Vale profound
Is overflowing with the sound.

No Nightingale did ever chaunt
More welcome notes to weary bands
Of travellers in some shady haunt,
Among Arabian sands:
A voice so thrilling ne'er was heard
In spring-time from the Cuckoo-bird,
Breaking the silence of the seas
Among the farthest Hebrides.

Will no one tell me what she sings?--
Perhaps the plaintive numbers flow
For old, unhappy, far-off things,
And battles long ago:
Or is it some more humble say,
Familiar matter of to-day?
Some natural sorrow, loss, or pain,
That has been, and may be again?

Whate'er the theme, the Maiden sang
As if her song could have no ending;
I saw her singing at her work,
And o'er the sickle bending;--
I listened, motionless and still;
And, as I mounted up the hill,
The music in my heart I bore,
Long after it was heard no more.




ひとり麦刈り  


あの娘<こ>をごらん、畑にひとり、
あそこの ひとりぼっちのハイランドの乙女を!
連れもなく 麦刈り うたう。
足を止めて、でなければ そっとお行きよ!
ひとりきり 麦刈り 束ね、
もの悲しげな歌うたう。
お聞きよ! 奥深い谷も
その響きにあふれているから。

アラビアの砂漠
木陰の集い処に憩う
疲れた旅人たちに、
ナイチンゲールも これより喜ばしい調べをうたいはしない。
春、はるかな ヘブリディーズの島々の
海のしじまを破る
カッコウの声も こんなに胸ふるわせはしない。

乙女が何をうたうのか だれも教えてくれないかしら?
おそらくは あの切ない歌は
いにしえの、悲運の、かなたの事々や
はるかに過ぎた闘いのために 流れ出る。
あるいは もっとつつましい、たとえば
今日の身近なことがらか?
かざらない悲しみ、失ったものや、それとも痛み?
かつてあって、そしてこれからも あるような。

何をうたう歌であれ、乙女はうたい
まるで終わりがないかのよう。
乙女は うたい働き 鎌に身をかがめ、
私は見ていた。
じっと静かに 聴いていた。
やがて 丘をのぼるには
その調べを心にのせて、
それがもう聞こえなくなっても、ずっと。

 

William Wordsworth (1770 - 1850)

Wordsworth については May 2001 を参照のこと。


ハイランド: the Highlands(スコットランド高地地方)
Scotland 北部の高原地帯で、特に the Grampians(グランピアン山脈)より北の地域。

土地はやせ、気候が冷涼なので、農業としては主に粗放的牧羊とエンバク(燕麦)の栽培が行われる。 (飾りに描いてあるのは大麦。燕麦の実は、穂が細く枝分かれし、その先に数粒ずつ付く。)

この地方には、英語とは系統の異なるケルト系言語 Gaelic(ゲール語)が今でも残っている。この詩の「乙女」は、ゲール語の歌を歌っていたのだろう。

ヘブリディーズ: the Hebrides(ヘブリディーズ諸島)
スコットランド北西岸沖合の群島。南北に長く、約500の島で構成される。本島に近い the Inner Hebrides と より西方の the Outer Hebrides からなる。

美しい自然は観光客に人気がある。初期キリスト教の歴史を残す Iona(アイオナ島)、メンデルスゾーンが訪れ、のちに管弦楽序曲を書いた Fingal's Cave(フィンガルの洞窟)がある Staffa(スタファ島)などが、インナーヘブリディーズの観光ポイントとして名高い。 Wordsworth も Fingal's Cave に霊感を受けたひとりに数えられる。



荒涼としたハイランドの景色。ふと耳にした物悲しい歌に心惹かれる。その調べは、ハイランドの歴史を知る者には、より切なく聞こえるはずだ。「battles long ago」と Wordsworth が言う時、その心に思い浮かぶ戦いの一つに the Battle of Culloden(カロデンの戦い)があっただろう。

The Forty-Five(1745年の乱)。名誉革命で廃位された James II世の孫 Charles Edward Stuart は、その父に続いて Stuart朝復興を狙い、ハイランドの支持者を集めて武力蜂起した。

ハイランド軍は一時 London の北 200キロ程まで迫ったものの、イングランド(政府)軍にはかなわず、1746年、カロデンにおける決戦で悲惨な最期を迎えた。(スコットランドの Inverness(インヴァネス)の近く。)

銃剣と大砲を備えたイングランド軍に、食うや食わずのハイランド兵は剣を手にして突撃したのである。撃ち倒されるまで、石を投げつけて抵抗した者もいたという。動けぬ負傷者までが殺され、捕らえられた者は絞首刑か流刑に処せられた。


このあと反乱を防止するために政府が定めた法律は、ハイランド人による武器の所持はもちろん、バグパイプの演奏やタータンの着用をも禁じた。 また、伝統的なクラン(氏族集団)の首長支配が廃止され、Charles に身方した者の土地屋敷は没収された。

タータン着用が解禁されたのは1782年。没収財産が有償で元の持ち主に戻されたのは、さらに数年後のことである。

Charles Edward Stuart は戦場から逃れ、その首には£30,000の賞金がかけられた。この金額は今の3百〜4百万ドルに相当するといわれるが、密告する者はなかった。Charles はヘブリディーズ諸島を転々と逃亡し、5ヶ月後にはフランスに渡っている。子供はなく、失意のうちに酒浸りとなり、忘れ去られ、1788年にローマで死去。

その弟 Henry Benedict Stuart は、晩年になって Georte III世から年金を支給されたが、やはり子供はなく、Stuart 王家直系の最後の人となった。



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