MOONLIGHT

・ お姫様のため息 ・

By Ryo Shimamura


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むかしむかし、魔法の国に小さなお城がありました。そこには、お姫様と龍とが二人で暮らしておりました。

龍は瑠璃色と真珠色の鱗、鋼の糸房のようなたてがみをなびかせ、琥珀色の眼が輝く、やさしくて精悍な龍でした。

お姫様は漆黒の髪に紫水晶の飾り、大きな黒い瞳が謎めいて、桜貝の爪が透き通る、美しくて賢明なお姫様でした。

お姫様と龍は、仲睦まじく暮らしておりました。お城の庭にはいつも花が咲き、小鳥が歌い、果実がたわわに実り、何一つ不自由はないように見えました。

けれど、お姫様はため息をつきました。それは、とても深いため息でした。

金蔵<かねぐら>が空になったのでしょうか? いいえ、そうではありません。むしろ、中身は増えておりました。龍が金貨を運んでくるからです。

お姫様は退屈だったのでしょうか? いいえ、決してそうでもありません。お姫様には仕事がありました。人間の国に出向いては、魔法の呪文を授けていたのです。人間たちは御礼に銀貨や銅貨を差し出しました。

では、お姫様は龍と暮らすのがいやになったのでしょうか? いいえ、それも違います。龍の気持ちが求婚した時から変わらなかったように、お姫様の気持ちも変わってはいなかったのです。お姫様は龍を愛しておりました。

 

けれど、今日もお姫様はため息をつきました。

「姫よ、どうしたのだ?」 炎の酒の杯を置き、龍がやさしく尋ねました。

「いいえ、何でもありません。」 お姫様はそっと答えました。

「どうかな?明日は気晴らしに、天翔ける椅子であたりを廻ってきては。

「おお、そうだ、明晩は欠け行く三日月であったな、小鬼の村で祭りがあろう。そこまで行けば伯母君の館も近い、伯母君には村の東屋<あづまや>まで出向いていただき、共に祭りを見てはどうかな。館には妹姫も招いて宴を催し、一夜過ごせばよかろう。

「そういえば近頃、妹姫は新しい魔法の道具を手に入れたそうではないか。翌日の午後はそれをとくと見分して、そのあと市に寄って夕餉の蜥蜴など求め、宵の明星が輝く頃に帰ってくれば、久々にゆっくりと羽が伸ばせよう。」

天翔ける椅子はお姫様のお気に入りの乗り物でした。それにかけて行き先を命じれば、瞬く間に舞い上がり、時には金剛石のように時には繻子のように煌めきながら、流れる星よりも速く天空を翔けるのでした。

お姫様はにっこりとしてうなずきました。けれど、ため息もつきました。それは、ほんの少しでしたけれど。

「どうも元気がないな。今宵は早く休みなさい、鼠どもが夜なべ仕事に出かける前に。」 龍はやさしく言いました。

「そういたしましょう。」 お姫様はそっと答えました。

「おお、明日は水絵の壺を忘れぬように。祭りのもようを私にも見せておくれ、聞かせておくれ。」 龍がやさしく言いました。そして、炎の酒や氷の酒をもう何杯か飲むと、満足げに寝室へひきあげていきました。

水絵の壺――。お姫様はため息をつきました。それは青銅でできた小さな魔法の壺で、蓋を取って望む景色にかざせば、中の水にその景色が写し取られるというものでした。そして、いつでもその景色を取り出すことができるのです。

お姫様は、ずっと水絵の壺を欲しがっておりました。その水に映る色とりどりの絵を使って、綴れ織りの壁掛けや飾り皿を作りたいと思っていたのです。

けれど、お姫様の水絵の壺は、半分は龍のものでした。お姫様が市に出向き銀貨や銅貨でそれを購<あがな>おうとした時、龍がついていって、値の半分を金貨で支払ったからです。「二人のものにしよう」龍はそう言いました。愛するお姫様と何でも分かち合いたいと思っていたのです。

ですから、龍がいつでもすぐに壺を使えるように、お姫様は気をつけて水絵を大壺に移しておくのでした。決して龍に見られて困るような絵ではなかったのですけれど。それに、龍が壺を使ったことはなかったのですけれど。

お姫様はもう一つため息をつくと立ち上がり、幾つもの杯と皿を、台所の魔法の井戸に投げ込んでおいて、本の蔵に向かいました。

ところで、井戸の底で割れたクリスタルや磁器はどうなるのでしょうか? 心配はいりません。翌朝には朝食用の皿や鉢になって、すっかり磨かれて、台所に並んでいるのですから。この魔法の井戸は、龍がお姫様のためにしつらえたものです。龍は愛するお姫様のため、様々に心を砕いたのでした。

 

さて、本の蔵は小さなお城の一番端にありました。お姫様は蔵の入り口にあるヒキガエルの日時計に挨拶をしました。ヒキガエルが答えて言いました。「どうぞ、お入りください。」

お姫様が本の蔵の厳めしい扉にそっと手を触れると、それは音もなく開きました。軽やかな足が闇の中を進むにつれて、次々と明かりが灯っては消えていきます。

お姫様は立ち並ぶ書架の間を抜け、蔵の一番奥まで行き、質素な枠のついた姿見鏡の前に立ちました。お姫様のほっそりとした姿が、揺らめく明かりに漆黒の髪を輝かせて、映っています。

けれど、これはもちろん、ただの鏡ではありません。白雪姫の継母が愛用した種類の鏡でもありません。異界と鏡の主とを結ぶ魔法の鏡なのです。

お姫様は壁に掛かった虹のハタキを手に取ると、鏡を軽く払い、ハタキを元に戻しました。

「鏡よ。」 お姫様の唇がつぶやくと、鏡は青い光を放ち、透き通りました。

お姫様は鏡を覗き込みました。そして鏡の精に何か命じ、それが済むと今度は鏡の中に飛び込みました。

そこは魔法の国でも人間の国でもありません。妖精や人魚、狐や熊や一角獣、大きなものに小さなもの、様々な姿をしたものが集まっておりました。

他愛ないおしゃべりをしたり、輪になって踊ったり。街角では剣の試合が始まり、港には探検に出かけようとする一団も見えます。商いをするもの、演説をぶっているものもいます。とても賑やかでした。

そこには、お姫様が「お姫様」だと知っているものはおりません。もしもお姫様がそうしようと思えば、激しい恋に文字通り身を焦がすこともできたでしょう。異界ではどんなことでもできるからです。けれど、お姫様が異界に求めたものは、そのようなことではありませんでした。

羊飼いの姿をしたお姫様は、芝居小屋の裏口に入りました。一座が歓迎してくれます。じつは、お姫様は時々ここで芝居に出ていたのです。それはほんのちょっとした役でしたが、お姫様には楽しくてたまりませんでした。

芝居が終わると、羊飼いの姿をしたお姫様は気の向くままに異界の街を歩きました。見たいと思うものを見て、行きたいと思うところに歩いていったのです。お姫様はため息をつくことなど忘れたようでした。

 

「お姫様、お姫様、龍のお殿様がいらっしゃいます。」 ヒキガエルの日時計が本の蔵の扉に教え、扉は壁にかかったハタキに伝え、ハタキは魔法の鏡に知らせ、鏡の精はお姫様を呼び戻しました。

お姫様は素早くいつもの姿になり、つぶやきました。「鏡よ。」 すると、青い光だけを残して、鏡は透き通ることをやめました。


龍が書架の通路に現れました。

「姫よ、呪文の研究もほどほどにせぬと、明日の行楽に差し支えよう。」 眠そうな眼をして、龍はやさしく言いました。

「ところで、鏡は何か申しておったかな? 誰か面白い話を届けてくれたかな?」 龍はそう尋ねました。鏡の精がお姫様の使いの役を果たしていることは知っていたからです。そして、龍は愛するお姫様のことを何でも知っておきたかったからです。

「いいえ、この度は何も。私から、伯母上と妹姫に明日のことを。」

「そうか、これは便利なものだな。」 龍はやさしく言いました。

「ほんとうに。」 お姫様はそっと答えて、にっこりしました。

お姫様がにっこりしたので、龍は喜びました。お姫様は、龍が喜んだのでうれしく思いました。

龍が行ってしまうと、お姫様は鏡の魔法をおしまいにしました。そうして、もう一度鏡にハタキをかけてから、書架の間を抜け、本の蔵の扉を閉じ、ヒキガエルの日時計に挨拶をして、寝室に向かいました。鼠どもは、もうとっくに夜なべ仕事に出かけておりましたけれど。

お姫様は寝室の扉をそっと開けました。白絹のそれは大きな寝台にゆったりととぐろを巻いて、龍はもうぐっすり眠っておりました。

お姫様は白雲のような掛け布団を龍にかけ直してあげました。そして、傍らの紅絹の小さな寝台にそっと横になり、夕焼け雲のような掛け布団をかけました。

それからも、龍はお姫様を大切にしました。お姫様は龍を大切に思いました。そして、二人は幸せに暮らしました。

けれどやっぱり、お姫様は時々深いため息をついていたということです。

 


・ お姫様のため息 ・
THE END

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さて、みなさん。 お姫様のため息について、どう思いますか? 選んでみてください。

1. こりゃあため息をつかんではおられんずら〜。トホホ笑いずら〜。

2. ため息つかんかてええやん、それくらい。ダンナかわいいんやし。

3. めちゃやさしい、ええダンナやけん、幸せすぎのため息や、うらやまし〜。

判定 (この場合のテツガク): 1→ 「初志貫徹・順法闘争」
2→ 「穏健中道・労使協調」
3→ 「家内安全・五穀豊穣」


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