MOONLIGHT

・ 課長伝説 I ・

By Uncommercial Traveller


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 師走に入って1週間、ホームを渡る風は思いのほか冷たく、関西から新幹線と夜行列車を乗り継いできた山下は思わずコートの襟を立てた。寝台特急の終点の県庁所在地からさらにローカル線で40分、北東北の山間の小さな駅は朝の通勤通学時間帯を過ぎて、閑散としていた。町長選挙でも行われているのか、人気のない駅前広場からは途切れ途切れに候補者の演説の声が流れてくる。「・・・・町政の抜本的な見直しが必要なときに来ています・・・・このままではわが町は・・・・」ホームの端から振り返ると40台半ばと見られる候補者のどこか切羽詰った口調の呼びかけに足を止める通行人はいないようであった。

 ふと何か山下の心によみがえるものを意識しかけたとき、演説の声をかき消して列車が進入してきた。あわててポケットから小型カメラを取り出し、とまった列車に向けて1枚シャッターを切って暖房の効いた車内に乗り込んだ。地方私鉄にしては珍しくクロスシートの並ぶ車内に乗客は数えるほどしかなく、来春の廃止が決定しているのもやむをえないと思わせた。

 出張と称して毎月4〜5日の日程で各地のローカル私鉄を訪ね歩いて33回目、そろそろ残された訪問先も先が見えてきて、そのことがしばらく前から山下の心に漠然とした不安をもたらしていた。この旅の後にくるものについては努めて考えないようにしているが、月ごとに塗りつぶされていく全国の路線図の残りを見るのがつらくなってきている自分に気がついていた。

 朝食時に飲んだビールの酔いが、列車の程よい揺れとともにまわってきて、山下はしばらくうとうととなった。その間に何度か停車駅を告げるアナウンスを聞いたような気もしたが、目がさめたとき、列車は川に沿って蛇行しながらさらに山奥へ分け入っていくところであった。本格的な雪の季節にはまだ少し早いようであるが、それでも車窓に映る木々はうっすらと雪化粧をしている。ようやく列車は地方私鉄にしては長い路線の半ばに達しようとしていた。やがて上り列車との行き違いで停車した駅は秘湯として有名な温泉地への接続駅であった。

 静まり返った車内に賑やかな声が響き、思わず顔を上げた山下の目に映ったのは会社員らしい4人連れの姿であった。席に着くなり缶ビールとつまみをビニール袋から取り出し、宴会の続きをはじめる姿に数年前の自分を見たような気がして思わず顔をそむけはしたが、そうさせる気持ちのどこかには懐かしさと羨ましさがあったのかもしれない。・・・・今回の人事は納得ゆきませんよ・・・・だいたいあの部長は営業の何たるかが全くわかっていない・・・・われわれもそろそろ腹をくくらないと、このままでは我が社は・・・・大きくても小さくても人がいて組織があり、そこで争そわれる覇権と人間模様の一端を聞くともなく聞きながら山下は再び浅い眠りに落ちた。そのとき会社員の酔いに任せた声の向こうに、今朝の駅前広場での候補者の声が聞こえたような気がした。・・・このままではこの町はつぶれてしまいます・・・・

 夢の中で山下は自らが捨ててきた世界に返っていた。あのときの自分はなんだったのだろう・・・30台半ばで偶然手にした課長ポスト、同期はもとより数期上の先輩も抜いての昇任であった。引き続く本社の無理な拡張計画、直属の役員に反対意見を具申したが、逆に1ヶ月以内に実施可能な方法を見つけるように指示を受け、数名の若手とプロジェクトを組んで応急的にまとめた企画『現状の分析と将来展望』、その思いがけない評価と本社の対応・・・本社部課長会議・・・入社以来初めて足を踏み入れた社長室での説明・・・役員会・・・全国支店長会議・・・全社員テレビ朝礼・・・繰り返し繰り返し山下とそのメンバーは訴えた。「・・・このままでは我が社はつぶれてしまいます・・・」そうすることが社を救う唯一の道と信じていた。

 しかしその強固な信念は彼らの前に大きな陥穽をもたらすこととなった。もとよりプロジェクトの指し示す前途は安穏としたものでなく、多くの弱い立場の社員に少なからぬ犠牲を強いるものであった。いつの時代にも一般大衆は変化と犠牲を好まないものである。

 やがて賞賛は怨嗟に変わり、プロジェクトのメンバーは社内で孤立した。社は方向転換を余儀なくされ、山下は栄進していた本社社長室長から社員2名の長崎支店に転勤となり、単身赴任を1年続けて辞表を出した。勤続20年、42歳、若すぎる最期であった。いわば2階に上げられて梯子をはずされた彼にかつての同僚や部下も冷たかった。組織とはこんなものさ・・・それでもいくつかあった送別会の誘いをすべて断って社を離れたのは3年近く前のことである。

 そんなことはとっくに忘れたことになっているはずであるが、いまだに旅行中にも日経新聞を買い求め、かつてのライバル社の新製品の記事があればつい目を向けるし、自社の株価にも無関心ではいられない。おかしなことである。

 列車はいつしかJRと接続している終着駅に停車していた。停車の振動で目を覚ました山下は他の数人の客とともに粉雪の舞うホームに降り立った。駅からバスで40分程の一軒宿の温泉旅館に着いたときには雪は激しくなり、あたりは薄暗くなっていた。山下の旅ではよく目にする「日本秘湯を守る会」の提灯が玄関の黄色っぽい照明に照らされて雪をかぶっていた。風除けの二重扉の内側のガラスには「住込み従業員求む、給与応談」の張り紙が色あせていた。

 夕食の膳を片付けてもらい、そのまま蒲団を敷いてもらうと山の中の湯治場ではもうすることはなかった。帳場といったほうが似つかわしいフロントの右手にはロビーと売店があり、その奥は湯治部へ続く渡り廊下となっていた。売店では細々とした生活雑貨に加えて自炊客のための野菜などの食料品も置いてあるようであった。

 山下は売店の冷蔵庫から出してもらったビールを飲みながら時刻表を開いて明日の行程を検討していた。出発する前に何度も繰り返し検討した予定に変更の余地はないはずであったが、それが宿での就寝前の日課となっていた。明日は青森へ出て北海道へ渡る予定にしていた。列車を使わず、青函海峡をフェリーで渡るつもりである。連絡船が廃止されて15年近くが過ぎていたが、今もそのほぼ同じ航路を民間のフェリーが行き来していた。

 まだ飛行機が貧乏学生に手の出る乗り物ではなかった学生時代に何度か北海道へ旅行した山下は、その都度連絡船を利用した。席を確保するために青森駅の長いホームを駆ける乗客の群れ、乗船客でごった返す連絡船待合室、名物のイカや帆立を焼く煙、日本全体が今ほど豊かではなかったあのころには、今は失われてしまったかに見える明日への活力というか、何か得体の知れないエネルギーのようなものがあったような気がする。山下はそれをもう一度思い出してみたくて今回の旅にわざわざ回り道になる青函航路を付け加えたのかもしれない。

 ・・・・中堅商社の中央商事が2回目の不渡りを出して、事実上倒産しました。今日午後、東京地裁に会社更生法の適用が申請されました・・・民間の調査機関の調べによると負債総額は1,500億円に上る見込みです・・・・

 見る人も無くつけっぱなしになっていたテレビからニュースが流れていた。・・・このままではわが社はつぶれてしまいます・・・社長以下二十数名の役員を前に山下ら4名のプロジェクトチームの説明は3時間に及んだ。あれから4年、あの広々とした役員室で今度は会社更生法適用の申請という苦渋の決定がなされたのか・・・・御茶ノ水にある本社ビルの最上階にあった社長室長室、原爆の爆心地に程近い電車通りにあった僅か10坪ほどの長崎支店、それに今も社に残るかつてのプロジェクトメンバーや幾ばくかの付き合いがあった社員たちの顔が浮かんでは消えていった。

 やはりこうなってしまったか・・・もはや山下は感慨を覚える程の気持ちの高ぶりは無かった。数々のデータが示していた当然の結果であった。長い不況の中で一度は好転を見せた景気によって最後のときは少しは引き伸ばされはしたが。

 その夜山下はいつもより長く風呂に入って、少し酒を飲んで眠りについた。携帯の呼び出し音が鳴っているのに気が付いて目覚めたとき、もうだいぶ眠ったと思ったが、まだ12時前であった。会社勤めの間もかたくなに携帯を持たなかった山下であるが、皮肉なことに辞めて自由になったはずの今、長期入院中の母の病状の急変に備えるために携帯を持たざるをえなくなっていた。

 「山下室長、ご無沙汰しています、旅行先まですいません」いまだに昔の肩書きで呼びかけてきた電話の主はかつてプロジェクトの副リーダー的存在であった島田であった。会社からかけているのか電話の背後は騒然とした様子で、島田自身時々電話を中断して指示を与えていた。「室長の言った通りになりましたよ・・・」島田は興奮した声で次のように続けた。

 山下が辞めてから1年ほどして会社の業績が急に悪化して、いろいろ手を打ったが、効果が出なくて今日の事態となったこと、当時改革に反対していた中堅社員はボーナスカットが始まり、退職金が危ないといううわさが流れると潮が引くように社を離れていったこと、役員の一部も経営危機に際して自身の保有する株を売り抜けようとして株価の暴落を招き、それが今回の直接の原因となったこと等々・・・・そしてまだ何とか社を再建しようという気のある社員もある程度残っていること、・・・・そして山下に社に戻って再建の陣頭指揮をとってほしいこと・・・・これらのことをほとんど一方的にしゃべって電話は切れた。

 目が覚めてしまった山下はタオルを手にすると再び風呂に向かった。白濁した湯に身を沈めてぼんやりと考えをめぐらせていたが、やはり何もまとまりはしなかった。左遷されてから4年、退社してから3年という歳月は山下の心に大きな穴をあけていた。「いまさら・・・・」東京の喧騒も、本社の活気も、支店長会議での議論の応酬も、すべては今の山下からは遠かった。

 早めの朝食を済ませて旅館のワゴン車で駅まで送ってもらった山下は予定通り青森までの乗車券を買った。昨夜から降り積もった雪であたりは本格的な雪景色となっていて、このまま根雪になるのではと思わせた。青森行きの普通電車は跨線橋を渡った2番ホームにすでに停車中であった。車内保温のために閉まっているドアを押しボタンで開けて乗り込んだ。

 上り列車との行き違いがあるのか発車までホームの時計は後10分を示していた。昨夜の寝不足と今朝が早かったことに加えてちょうど良い暖房でいつしか眠りに落ちていた。誰かがドアを開け、冷たい風とともにホームのアナウンスが突然山下の耳に飛び込んできた。・・・まもなく3番線に秋田行き特急いなほ8号が入ります、途中の停車駅は・・・・・終着の秋田では10分の連絡で東京行き秋田新幹線こまち10号に接続します・・・

 アナウンスが終わらないうちにホームの雪を舞い上げて特急電車が進入してきた。早朝にもかかわらず満席に近い特急の車窓を埋めているのはほとんどがビジネスマンのようであった。新聞を広げている人、車内販売のコーヒーを飲みながら書類に目を通す人、手帳を見ながら打合せに余念の無い人々・・・・今日はそれらの人々が今までに無く山下の身近に感じられた。山下は旅行鞄を網棚から下ろすとちょっとためらってからドアの開閉ボタンに手をかけた。


・ 課長伝説 I ・

The End


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