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ホームにて

 土曜の夜の京都駅。月に1度の懇親会の帰り。早ければ特急<日本海>、少し遅くなると急行<ちくま>が、1番線に入っていることがある。乗客はすでに車中にあって、これから乗ろうとする人はいない。ちょっと、中島みゆきの「ホームにて」を思わせる光景だ。

 改札を抜けて跨線橋まで、列車の窓を1つ1つ確かめるみたいにホームを歩く。おろしたシェードの周囲が明るい。それぞれの行き先を持った人たちが、その向こうにいる。

 一続きの窓が途切れ、ひとけのない、ぽっかりと開いたデッキ。静かな空間に、ふと誘われる。しかし、その中は異世界。入ったらきっと戻れない。ステップに足をかけるわけにはいかない。気持ちだけを1番ホームに置いて、階段を上る。

 ――「ホームにて」の彼女は、ほんの一瞬心を都会に残したために、ふるさと行きの最終に乗りそびれてしまう。私とは違って、彼女は乗るべきだったのだが。――

 このまま、はるかなところへ。 こんなふうに誘われることは、他にもある。

 そろそろ夕暮れ近い、仕事帰りの名神。疾風(はやて)のように追い抜いて行くハイウェイバス。背中の表示は<茅野>。信州行き。信州行き。右側に出て追いかける。こいつについて行けば、6時間で信州だ。でも、そのまま走って行きたい気持ちを本線上に残して、2つめのインターを降りる。

 そんな時と同じ。 跨線橋を降りて、3番ホーム。私が異世界へ引き込まれずに済んだわけは、所持金の不足だけだろうか。

 その夜のローカルは、隣に酔っぱらい。吊革と足の2点を支点として、ぐりんぐりんと身体ぜんたいで紡錘形の軌跡を描く。ちょっとした迷惑物件

 窓に映った乗客の中を、街の明かりが流れる。カーブを抜けると酔っぱらいの軌跡は外側に大きくふくらみ、そして、ぐるりと元に戻る。動くオブジェ。

 私も同じようなもの。心はわずかな空気の変化にもふわりゆらりと動く、モビール。仕事と夢、泣きたいことと楽しいこと、きのうと明日。いろんなものがぶら下がってバランスをとっている。それは揺れて傾いても、重心は変わらない。必ず復元する。この日常に、この私に。

 しかし、1つ部品が失われれば、二度と元には戻らない。きっと、ふらりと長距離列車に乗ってしまうだろう。

 そうだ。年に何度か公然の<蒸発>をする人を知っている。

 土日に有給休暇を連結し、JRのワイド周遊券を手にして列車に乗る。北海道であったり、東北や信州であったり。夜は夜行列車で過ごし、それでも3泊のうち1回くらいは温泉に泊まってみる。

 仕事からも家庭からも切り離された時間。傾きすぎて引っかかったモビールを手で元に戻す。部品がそろっているうちに。ひもが切れてしまわないうちに。

 このぐりんぐりんのおっさんだって、飲んでいるからバランスをとっていられるのかもしれない。もしかしたら、ふらりとどこかに行ってしまいたい気持ちと。

 おっさんの心は、今どこにいるのだろう。

 街の明かりが何回か止まっては流れ、寂しくなったところで、私は降りる。ホームを歩きだして、乗っていた窓のあたりをちょっと振り返る。 「おっさん、ちゃんと降りるべき駅で降りろよ。」                

 

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NOTES

[このエッセイ内の時刻はダイヤ改正前のものです。ご利用はできません。]

日本海: 京都発20:51。大阪始発、青森行き特急<日本海3号>。青森着は翌日11:42。客車寝台列車である。(機関車が牽引する。)
この列車は、大阪−山科(京都の次)間は<ちくま>と同じく東海道線を走るのに、山科から湖西線に入るので、時刻表の<東海道本線上り>ではなく<湖西線>のページに載っている。マヌケな鉄道ミステリーに使えそうではある。
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ちくま: 京都発21:37。大阪始発、長野行き急行。長野着は翌朝5:24。うち3両は寝台車。<日本海>と同じく、客車である。
[2000年現在、寝台車なしの電車になっている。]・・・>本文

1番線: 東海道線上りの急行・特急と、草津線方面の列車が入る。このプラットホームは大変長く、西の方は関空特急<はるか>(30番)と山陰線(31-33番)に使用されている。なおこのプラットホームは、豊臣秀吉が築いた洛中を囲む土盛りの街壁<御土居>跡の上に造られたものである。・・・>本文

「ホームにて」: 中島みゆきの往年のアルバム『あ・り・が・と・う』に収録されている。都会と仕事に疲れた人にぜひ聴いて欲しい歌。・・・>本文

改札: 烏丸(からすま)中央口のこと。地上にある。この改札を通ると直接1番ホームに出る。現在の京都駅ビルは1997年に完成したが、ホームは従来のものを改装して使っている。ついでに言うなら、ビルのデザインはバブル期っぽくて、あまり良いとは思わなかったが、いつのまにか見慣れてしまった。・・・>本文

名神: 茨木インターからの上り。近年、京都南インターにかけて上下とも3車線化、渋滞で悪名高かった梶原、天王山の両トンネル4車線化の結果、かなりのスピードアップが実現された。・・・>本文

茅野: 長野県茅野市。この便は名神から中央道に入る大阪発16:00、茅野着21:45の阪急バスで、松本バスターミナル行き(21:30着)と2台いっしょに走る。
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2つめのインター: 京都東。この付近、名神の藤の森バス停あたりから逢坂山近くまでの区間は、明治12年に開通した初代東海道線の跡を利用している。昔の汽車は非力だったので、京都の盆地を出て大津まで、遠回りでもなるべく平坦地を走るようにしたのだ。大正10年に現在の東海道線のルート(音羽山トンネル)に変更されるまで使用されていた。
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3番ホーム: 湖西線。この線は全線高架で、しかも列車本数が控えめなので、試験走行がよくおこなわれる。新型車両がデビュー前に見られることも。
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所持金: 最高の場合でも2万円少々である。・・・>本文

迷惑物件: こうなると当人は自分の状態が把握できない。したがって、身に覚えのある人、というのはほとんどいないだろう。幸いなことである。・・・>本文

モビール: mobile、動く彫刻。したがって、つり下げ式とは限らない。バブル期、地方に乱立した近代美術館には必須のアイテムであった。・・・>本文

蒸発: この用語は昭和40 年代初期(1967頃)から定着したらしい。人がある日突然行方不明になり、周囲の人にその理由がわからないケースが<蒸発>と呼ばれた。
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ワイド周遊券: 周遊きっぷ(ゾーン券)制度になる前のJR周遊券のひとつ。周遊指定エリア内乗り放題(特急自由席を含む)と、エリアまでの往復(急行自由席利用可)がセットになっていた。なお、北海道と九州には、往復分を含まないニューワイド周遊券が設定されていた。これはフェリーや飛行機を利用する人向けである。
切符の単品買いは高くつく。周遊券のエリア内に限定された、エコノミーな「あてのない旅」には、サラリーマンの悲哀が感じられる。・・・>本文

夜は夜行列車で過ごし: 宿泊費用が浮く、限られた日数内で遠くまで行けるという利点がある。しかし熟睡していると乗り換えしそこねる。睡眠不足は避けられない。
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降りるべき駅: うっかり乗り過ごしてしまった場合、乗客は気づいた所(駅)から次の列車で目的地まで戻ることができる(無料)、ということがJR旅客運送規則に書かれているそうである。・・・>本文

 

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