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天  使


 
クルマには翼がある。詩的表現ではなくて、本当にある。我々が通常「フェンダー」と呼んでいる部分は、イギリス英語では "wing" なのである。しかし、ここで言いたいのはこの正統派の翼ではなく、リア・スポイラーのことだ。

 その昔、「テールウィング」と呼ばれていた。クルマのほとんどがFRだった時代には、空力で後輪の接地力を高めるのは意味があったかもしれない。でもその実態は、お兄さん連中のイカす(またはイカれた)ファッションであった。

 ゴテゴテと空力パーツをくっつけた彼らのクルマは、結構おもしろい見物であった。彼らは後の暴走族のように凶暴な団体というわけではない。ただラリーやサーキットにあこがれる、純朴な青少年だったのだろう。しかしやはり、その精一杯の姿には、はみ出し者のアブナイ雰囲気が漂っていた。

 私自身は特にイカでも何でもないつもりだが、でもちょっとアブナイ格好がいいと思う。見た目まで真面目そのままはイヤだ。

 それに、風を切る翼を背中につけるのは、まるで天使だ。

 すでに十数年前、自分のクルマを持つようになると、赤いALTOに、ひかえめなスポイラーをつけた。リアガラス上部に取り付ける、紫色の透明プラスチックの板。純正品ではあったが構造が悪く、たわんでガラスにあたるのが情けなかった。

 空色のFAMILIAには、苦労して銀の羽根を手に入れた。普通のカーショップで「スポイラーがほしい」と言っても、すぐにはわかってもらえない時代であった。やはり板状で、オールアルミ製。晴れた日には、輝く天使様のご威光に、後続車は目もくらむ思いをしたことだろう。

 MIRAGEには標準装備であった。おまけにフロントバンパーエクステンションもついて、少なくとも当人は、速そうなスタイルだと思った。しかしすでに7年近く、走行距離10万キロをとっくに超し、白い天使も老いた。

 そしてその間に、スポイラーが一般化した。車体後部の空気の流れを整えるため、とは、きっと誰も考えてはいない。ただみんな、人とはちょっと違っていたい。クーペやハッチバックだけでなく、セダンだって背中に羽根をつけて飛んで行く。

 だからもう、次のクルマには、スポイラーだけでなくサイドエアダムもついたのを選んでしまった。だんだんクルマが派手になる。この格好でこの先6年間。まあ、ファッションは要するに慣れの問題だ。おかたい人たちに「かっこいいですね」とお愛想いただくのも、楽しいことかもしれない。

 しかし、詩的に言っても、クルマに乗ると翼が生える。かくして私は明日も、天使となって名神を飛んで行くであろう。やっぱり、ちょっとアブナイのである。

 

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NOTES

フェンダー: fender。アメリカ英語からの外来語。他の分野と同じく、自動車に関する英語系外来語も、アメリカ由来であったりイギリス由来であったりする。たとえばトラックは(米)"truck"、(英)"lorry"だから、「タンクローリー」という場合はトラックのことをイギリスふうに言っていることになる。 ・・・>本文

wing その昔、前輪がボンネットの外側に出ていたとき、その覆いが張り出して取り付けられていたからだろうか。クラシックカーをみると、そんな気がする。
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リア・スポイラー: 通常「スポイラー」または「リヤスポ」と呼ばれる。FF車の場合、リアスポイラーの役割は、走行時に空気の流れを整えて、水しぶき等の巻き上げ防止、かつ燃費の向上にあるそうなのだが。 ・・・>本文

FR front-engine, rear-drive type。後輪駆動式。今日このタイプの車に乗っていると、よほどの高級車でない限り、走り屋と見なされるおそれがある。なお、FR主流から現在のFF (front-engine, front-drive type、前輪駆動式)主流の時代への過渡期には、雪道でFF車の後輪にチェーンを巻くという珍事象が散見された。 ・・・>本文

ALTO: 鈴木自動車の軽自動車。昭和54年 (1979) 「アルトは47万円」のキャッチフレーズで全国統一価格でデビュー、4ナンバー(商用車)で税金が安いこともあって、爆発的に売れた。2サイクルエンジン、まるで公道走行可のゴーカートといった風情で、装備は至ってシンプル。手押水鉄砲式のウォッシャーなどには、えもいわれぬ悲哀が感じられた。
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FAMILIA: マツダの大衆車。昭和55年 (1980) にFFモデルが出た。このFFシリーズはミリオンセラーを達成した。当時(も)経営不振にあえいでいたマツダの救世主であった。・・・>本文

MIRAGE: 「一千年の未来」参照のこと。 ・・・>本文

フロントバンパーエクステンション: フロントバンパーを大きくするための、要するに継ぎ足しである。 ・・・>本文

クーペやハッチバック: これらの車の形状について不明の方は、駐車場等で現物を確認されたい。 ・・・>本文

サイドエアダム: 車体側面に沿った空気の流れを整えるためのパーツ。
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名神: 名神高速道路。1964年に一部開通した、日本初の高速道路である。
ところで、日本に「高速道路」は意外に少なく、東名、名神、阪神と、首都高速や名古屋高速、福岡、北九州などの「都市高速道路」くらい。東北、中央、中国をはじめ、ほとんどは「自動車道」である。「高速」というネーミングがよろしくないらしいが、よけいなお世話である。
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