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風呂場のコオロギ



コオロギは風呂場が好きだ。何度追い出しても舞い戻り、カウンターの下で大声を上げている。だが、明るいグレーのFRP浴槽に、コオロギは似合わない。

子供の頃、我が家の風呂場は暗くて狭かった。天井のペンキはうす水色で、鱗状にささくれ、真ん中に乳白色の大きなグローブ灯。そのガラスの、色づく前のトマトに似た縞模様は、表面をつたって落ちる水滴の仕業だ。

高い窓。木枠の中でレールが錆びついていた。亀甲形の網が入った型板ガラスは私のお気に入り、ごつごつしていて、無造作に積んだ石垣を思わせた。入り口の引き戸はとっくに朽ちて、代わりのシャワーカーテンが頼りない。

タイル張りの洗い場に、一段下げて据えた角形の檜浴槽。まるい穴が縦に2つ。循環式の石炭釜だったが、薪も使った。小振りの斧で薪を割るのは楽しかった。火を焚くのはもっと楽しかった。

風呂釜の置いてあるコンクリート土間には、犬が寝ころんでいた。

夏、スイカを食べるとき、母は私たちを風呂の洗い場に向かって座らせた。こぼれても平気なように。はき出したタネがいくつか、洗い場と浴槽との隙間に落ちた。一夜で、スイカのもやしが生えてきた。

どこまで伸びるのだろう。本葉は出るのだろうか。わざと、隙間にタネを入れてみた。ずらりと生えそろったスイカもやしはユーモラスだったが、きっちりと叱られた。

スイカも終わる頃、浴槽の下でコオロギが鳴き始める。湯につかってその鳴き声を聞いていると、今の言葉で言えば、時間というものがなくなった。そんなときに飲んだ、少し鉄っぽい味の水道水は、おいしかった。

その頃我が家では1日1本牛乳をとっていて、月末の集金時にはフルーツ牛乳のおまけがもらえた。それを飲んで、瓶を洗わずに縁の下に立てておく。翌朝には、コオロギが1匹、必ず入っていた。

玉入れみたいに、何回目かで入ったのだろうか。それとも、瓶の口に止まってから飛び降りたのだろうか。ひとしきり眺めて、だが飼うわけではなく、放してしまう。ただ、つかまえるのが面白かった。

雄なら、瓶の中で鳴いただろうか。もし鳴いたのなら、あの狭いガラスの中で、音はどんなふうに響いただろう。

11月になると、犬は風呂釜のそばで暖まり、コオロギが1匹だけ鳴いていた。風の音にまぎれて、声は小さくなり、間隔が長くなる。

いつまで鳴いているだろう。いつまで生きているだろう。湯船のなかで膝をかかえ、耳を澄ましていた。

それから気の遠くなるような時間が経って、それはまだ解決していない。気がつくと、いつも、もうコオロギは鳴いていない。

さっき追い出したコオロギは、いつまで鳴くだろう。

しかし、ほんとうに知りたいわけではないのだ。だから、カレンダーに印をつけたりはしないのだ。

それはたぶん、自分の誕生日や親の命日が近づいてくるのを知っていて、当日になると忘れているのと、どこか似ている。巡ってきたからといって、どうすることもできない。それが悲しくて、いつのまにか過ぎたことにしたい。わざとではないけれど。

それでもやはり思ってしまう。あのコオロギは、いつまで生きるだろう。私は、いつまでその鳴き声を聞くだろう。

浴槽を洗い、シャワーで洗剤を流す。そういえば、あの暗い浴室にはシャワーがなかった。

今、風呂の湯を入れるのは機械まかせ。紙くずで薪に火をつけるのも、犬と並んでしゃがみ込み、燃える火を眺めていたのも、風呂場のスイカもやしも――むかし映画で見たことのようだ。

懐かしいけれど、他人めいた記憶。それは、ただ単に今の生活が昔より格段に便利で快適だからではない。あの頃は、どんなに不便でも寒くても、自分ではそれをどうしようもなかったからだ。

それに、あの頃は、たとえば虫の声を聞いて想い出せることが、今とは比べものにならないほど少なかったからだ。

ただ、もう一度あの風呂場でコオロギを聞いてみたい。湿った木の浴槽の下から響く音は、とても柔らかだったに違いない。それだけは、あの頃にかなわない。

風呂に栓をして、フタをして。スイッチを押すと、いつもの電子音がした。

 

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