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ランドセル



「次は『ランドセル』で書いて。でも、暗すぎ?」 妹のメールだ。

――ランドセルは、『暗い』か。

小学校も高学年になると、ランドセルを背負うことはなくなった。だから、小学校低学年の『暗さ』なのか。それなら、たぶん。

私たちは所謂『遅生まれ』。他の子供と最大1年近い差がある。幼稚園から小学校1年までのあの頃、平均半年分の成長の差は圧倒的だ。

そのうちに家庭環境の差が、そして個人差が、年齢差を越えていくものだ。しかし、子供にそんなことはわからない。なぜ自分にはうまく出来ないのだろう。なぜ自分は遅いのだろう。『できなさ感』で、頭がぼーっとなっていた。

だが、その感覚と記憶は捨て去ってはならない。そう思うことにしている。



「ランドセルに詰まっていたのは、いやな思いばかりだった。」

――そこまで言うだろうか。

いや、しかし、『いやな思い』と言えば。木造校舎の暗い教室でランドセルを開ける瞬間は、形を変えて、今もいやな夢になって現れる。いつも、何かが『ない』のだ。

現実には、忘れ物の場合もあれば、そうでないこともあった。

1年生の工作の時間。七夕飾りに使う紙縒<こより>が、なかった。前の晩に母親と一緒に作って、確かにランドセルの仕切の一つに入れたはずなのに。先生に叱られながら、それこそ、いやな夢を見ているようだった。

家に帰ると、紙縒はあっけなくランドセルから出てきた。最初に「ない」と思ったため、パニックになって、ちゃんと探せなかったのだ。

大人でも、同様のことは起きる。「落ち着いて。」 それで解決することは多い。



「パンが、いっぱい出てきたんだ。」

――絶妙に象徴的で、悪いけれど笑ってしまう。

2年生になっていたか。給食のコッペパンを、妹はいつも食べ残した。それをビニールのナプキンに包み、ランドセルの底に入れた。次の日も、また次の日のパンも。

ある日、それが発覚した。押しつぶされた数個のパンは黴が生え、腐り、安いビニールが溶けたようになっていた。

私が感銘を覚えたのは、コッペパンの究極の変化だけではなかった。その日使うナプキンを妹が購買部で買って間に合わせていたという事実。「私にはそんな才覚はない。」今ならそんな言葉を使うだろう。

だが、何故妹はパンをそんなふうに隠したのか。当人にとっても、いやなことだったのだ。それでも隠したのは、『本能』めいたものだったのか。

そして今、もらうだけもらった資料、とりあえず録画したビデオ。なかったことにしたいから、処分もしないのか。



「ランドセルって、暗いですか?」 先輩に尋ねた。

「まだ、買ってもらえない子供がいた時代で。」 先輩がたぐった記憶の端にも、暗いランドセルがぶら下がっていた。

布製のランドセルさえ買うことのできない家庭の子供が、いじめに遭っていた。その場面が、強烈な『いやな思い』として残っている。――先輩はそう言った。

「それと、新学年の始まり、病気で休んでいてね。」

初めて出席した2年生の教室で、忘れ物検査があった。「持っていない者は手を挙げて。」 先輩は手を挙げた。指示を聞いていなかったのだから、持っていなくて当然だった。

先生は床にチョークで円を描き、手を挙げた者を全員その中に立たせた。とても屈辱的だった。あとで謝ってはもらったけど。――グラスの氷を傾けて、先輩は窓に目をやった。



3月、新入学用品売り場に明るい『あの歌』が流れると、「やれやれ」と思う。明るく楽しく盛り上げなくては商売にならない。けれど。100人の友達など、考えるだけで恐怖。富士山に登るのでも他のことでも、活動は苦手。そんな子供の存在を、忘れないでほしい。

同様に、数年前から広まったミニランドセル。どうか、不幸にも暗いランドセルで作ってしまうことのないように。

妹のランドセルは卒業後すぐに処分されたはずだ。私のは、しばらく残っていた。その頃家にいた雌の柴犬に、私はそれを進呈したのだ。

犬はその匂いをかぎ、ひっかいて、頭突きをくらわし振り回し、十分に吟味すると、自分の持ち物にした。誰にも渡そうとはしなかった。

犬が満足げに目を細め、大切にランドセルを抱え込んでいる。その白黒写真のような記憶だけは、明るくはないが、あたたかい。



補 遺


「ランドセルの想い出って、暗くないですか?」

ビールを片手に、課長は怪訝な顔をした。「別に。」

「学校に行くの、嫌じゃなかったですか?」

課長は、一瞬少年の目をして言った。「学校に行くのは楽しかったな。給食は苦手だったが、大したことじゃなかった。

「夏休み冬休みも、これまた結構。心おきなく目一杯遊ぼうと思って、最初にまとめて宿題をやっつけるんだな。答えが合ってるかどうかは問題じゃない。やってありゃ、それでいいんだ。」

私は早々に退散した。

 

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