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一千年の未来


 
ある中学校の古い卒業記念文集。ありふれた地方都市の、ごく普通の公立中学の、おきまりのクラス企画である。ワラ半紙に手書き原稿の印刷。彼らの思い出、彼らの将来。インクがあせて、記憶と同じように、文字がかすんでいる。

 女子生徒の多くの「20年後」は、「子供2−3人と優しい夫、レースのカーテンに白いテーブルクロス、暖かい家庭の専業主婦」である。上野千鶴子氏が目にしたら大いに嘆きそうな、自立しない女の幸せだ。

 ひとり異端者がいる。「もし生きていれば」「何か決まってないけど、一生の仕事がしたい」「オールドミスになっているかもしれない」と。彼女の将来予測は当たったのかどうか。

 ただ言えることは、彼女はみんなと同じことを書きたくはなかったのだ。そしてこれは、「20年後? んなこと、わかるかよっ」というメッセージなのだ。

 中学3年生に将来の自分を想像させるというのは、あまり実のない課題であった。なぜなら、まず、彼らは本音を書いたりはしない。当たり障りのないことを書くくらいの分別はある。

 そもそも、宇宙飛行士とか世界的大科学者とか、無邪気な夢からは卒業済みだ。医師や弁護士など現実味のある職業にしても、そろそろ自分の脳ミソの性能がわかってくる頃だから、無理なことを書こうとするやつもいない。

 それに、本当に真面目に想像しようにも知識が乏しい。どんな職業が存在するのか、どんな生き方があるのか。実感としてわかっていない。先のことを考えるのにデータが必要なのは、天気予報や経済見通しと同じだ。

 で、彼らは手近の人生で間に合わす。サラリーマン、商店主、主婦。「彼らによくわかる」将来なのだ。

 だから、たとえば、女性学の人たちは、この文集の女子生徒たちの「女の幸せ」を意識の低さと判断してはいけないのである。

 さらに言えば、彼らにとっての時間の流れは大人とは異なる。大人にとっての1年を、彼らは3年分くらいに感じるであろう。おまけに、まだ20年間という時間を経験したことはない。だから彼らにとっての20年間は、想像を絶する長さだ。

 想像を絶するという意味では、20年後も百年後も、たとえ一千年後でも、おなじ。そんな時間の果てを考えよとは、悪代官も真っ青の無理難題だ。

 しかし、その永遠とも思われた時間がすでに過ぎた。今、私は当時から見て一千年の未来に存在する。残念ながら私の愛車はMIRAGEであって流星号ではないので、時の流れをこえていくことはできない。

 それでも、「一千年の時間も、過ぎてしまえば一瞬だよ」と、この女子中学生に伝えてやりたいと思うのである。

 

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NOTES

印刷: 原稿は、薄緑の升目が入った用紙に鉛筆で書いた。この原稿は「ファクス」と呼ばれる機械にかけて製版した。さすがに鉄筆によるガリ版やボールペン原紙は使わなかったが、印刷は手動であったかもしれない。もちろんゼロックスなどのPPCコピー機やリソグラフのような便利な印刷機はなかった。
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上野千鶴子: 著名な女性学研究者。 ・・・>本文

オールドミス: 婚期を過ぎた未婚の女性のこと。ただし婚期の定義ははっきりしない。最近あまり聞かれない言葉であるが、使用すればセクハラと見なされるであろう。 
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宇宙飛行士: 合衆国のアポロ計画華やかなりし頃であった。しかし今のように日本人がスペースシャトルに乗って宇宙に出るなど、夢のまた夢であった。一般大衆にとっては、国外に出ることさえままならなかった。 ・・・>本文

時間の流れ: 動物は体のサイズによってそれぞれ流れる速さが異なる生理的時間を持ち、その時間は体長の四分の三乗に比例する。(本川達雄『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書)を見よ。) ・・・>本文 

 しかし、人間の子供と大人で時間の速さが異なるのは、生理的な理由だけではないように思われる。たとえば、新しい刺激や経験の数(物理的に同じ長さの時間内では子供の方が断然多いはず)で時間をカウントしたりしていないだろうか。

 その他、経験から得られる予測の有無(子供は未来に対してほとんど手探り状態)、生きることに対する慣れなど、時間の長さが異なって感じられそうな要因は多い。

MIRAGE: 三菱自動車工業の大衆車。1990年式の1600 SWIFT-R である。 DOHC 130馬力の、当時としてはちょっとスポーツタイプで、したがって車両保険の保険料率は9ランク中のランク5となる(結構高い)。 [1996年当時の記述]
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流星号: 1960年代中頃のTVマンガ『スーパージェッター』より。30世紀から20世紀にやってきた主人公、タイムパトロール隊員ジェッター君の愛機の名前。エアカーにしてタイムマシンで、主人公が呼ぶとどこからか飛んでくる。 ・・・>本文

 

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